こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「建武政権⑯:1336年7-8月」です。
入京を果たした足利尊氏は、光厳上皇弟の豊仁親王を光明天皇として即位させました。
この4ヶ月後に南朝が成立するのですが、この光明天皇即位をもって、「北朝の成立」とされます。
建武3年(1336年)7-9月年表
7/5 | 宇都宮公綱(後醍醐方)、京都奪回を目指すも失敗 ※坂本で足利軍を撃退した勢いで京都奪回を目指す。 ※「坂東一の弓取り」と呼ばれた宇都宮公綱は一時的に尊氏方となっていたが、北畠顕家の最初の征西時に後醍醐方に戻っていた。(しかし、そのまま尊氏方となった一族郎党も多数。) |
7/11 | 足利尊氏、新しい御家人身分創出の方策を打ち出し始める。 ※将軍に直接的に奉仕する御家人の増加を狙った。 ※尊氏の発給した文書は実に数が多い。 |
7/- | 畠山国清(足利方)、和泉・紀伊で抗戦を続ける楠木・新田与党と戦う ※畠山国清は和泉守護を任じられていた。足利家の支流。 ※畠山基国は甥にあたる。畠山基国の息子が畠山満家。 |
8/6 | 北畠顕家、尊氏自害のフェイクニュースを流す ※奥州では尊氏方に寝返る武将が多かったため、戦況に苦む顕家は誤報をあえて流した。 |
8/15 | 足利尊氏により、光明天皇践祚(北朝の成立) ※光厳上皇の弟、豊仁親王を践祚(天皇の位につく)させた。 |
8/17 | 足利尊氏、出家願望を口にする ※今後のことはすべて直義に任せて出家しよう、という願文を清水寺に残す。 (しかし、南朝との争いのために周囲がそれを許さなかった。) |
光明天皇を天皇にしたよ。
これでいいでしょ?
尊氏、ありがとう!
これからは持明院統の時代だ!
あ、いや、皇太子は成良親王にするよー。
別に後醍醐天皇に悪い気はもってないしねー。
え、ええぇ、そうなの??
またややこしい両統迭立じゃん、、、
それはそうと兄さん、何か足りないと思わない、、?
え?なになに?
僕は物質的な欲望はあんまり無いんだよねー
もう出家してもいいと思ってるしー
ほら、三種の神器だよっ!
はははー
そうか、そうか。
じゃあもうちょっと戦況が進んだら後醍醐天皇に言っとくわ。
こちらの劣勢は明らかだが、うーん、なんとかならんか、、
奥州に戻ったら敵がめちゃくちゃ増えてる、、、
後醍醐天皇では尊氏どのの人気に及ばない、、、
ちゃんとした政治をしていないからだな、、、
とりあえず、フェイクニュースでも流さないと無理だ、、、
ふふふ、フェイクニュースと来たか、、
どこまで通用するかなー??
とりあえず光明天皇を立てたことで僕は朝敵じゃなくなったし、
もう何も怖いものないけどねー。