こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑧:1862年上半期」です。
長井雅楽の「航海遠略策」が採用されるかと思いきや、
賛成派の老中・安藤信正が「坂下門外の変」を受けて失脚。
この国難に島津久光が入京します。
「攘夷実行」と思い込んだ尊攘派とは反対に、
久光は「公武一和」を目指します。
その過程で薩摩藩士同志が殺し合う「寺田屋事件」もありました。
しかし、この事件を解決したことで朝廷の信頼を得た久光は、
朝廷の大原重徳とともに、幕政改革を訴えに江戸に向かいます。
1862年(文久2年)上半期
1/14 | 久坂玄瑞(長州藩)と坂本龍馬(土佐藩)が白石邸で会談したのはこのあたり。 |
1/15 | 坂下門外の変。(※1) 老中安藤信正、江戸城坂下門外で襲撃される。 ※犯人は水戸藩や宇都宮藩の尊攘派。「背中を斬られた」点が「武士の恥」という理由で辞職したが、安藤信正は「公武合体の実現」、「ヒュースケン殺害事件の円満処理」、「金の流出阻止」など冷静な処理で政局を安定させていた。 ※つまらない理由で安藤を責めのは目付、大目付といった引退したような輩。 ※慶喜のブレーンに、「原市之進」という人物がいたが、彼が黒幕という説もある。 (ちなみに大政奉還後の慶喜が精彩を欠いたのは原市之進を暗殺で失ったからという説もある。) |
2/11 | 家茂と和宮の婚儀 |
3/16 | 島津久光、薩摩藩兵を率いて上京の途に就く。(※2) ※先行していた西郷は、過激派300人が久坂玄瑞らとともに久光に呼応して挙兵する計画を知る。自ら解決に向かうが、久光の待機命令に背いた罰として徳之島に流された。 |
3/24 | 坂本龍馬、脱藩。 |
4/8 | 土佐で公武合体派の吉田東洋暗殺 指令したのは攘夷派・土佐勤王党の武市半平太。以後、土佐勤王党が藩論をリードする。 |
4/16 | 久光、1000人の藩兵を率いて上京。 ※大久保の朝廷工作が実り、京都の護衛につくことが決定した。久光は全国の攘夷派の期待を受けていたが、久光自身の目的は公武の間の取り持ちであった。そのためにも藩の意見を統一させるために薩摩藩士が勝手に議論することを禁じていた。朝廷からは志士の始末を要請される。 ※この件を期に幕末政治史が京都にうつり、幕府権威が失墜、朝廷内に急進派を生み、志士たちの過激な行動が顕在化したととらえる説もある。 |
4/23 | 寺田屋事件。 ※薩摩藩の尊攘派は寺田屋に集結して「久光の目を覚ます」くらいの勢いで、関白九条久忠、京都所司代酒井忠義の暗殺計画を話し合っていた。そこへ久光の命で彼らの説得に向かった薩摩藩士と彼らの間で、話し合いがエスカレートして斬り合いになった。 ※朝廷も公武合体派が権力を握っていたことも有り、尊攘派の処罰は、久光への信頼を高めた。 ※なお1866年に坂本龍馬を襲撃した事件も「寺田屋事件」と呼ばれるので注意。 一方、長州藩は藩是が破約攘夷に傾き、薩摩藩とは反目。 |
5/9 | ロンドン覚書 日本の国内情勢が不安定であるため、開市・開港を5年間延期してもらう。 |
5/22 | 久光、朝廷の大原重徳(しげとみ)を奉じて江戸に向かう。 |
6/5 | 長井雅楽、帰国の上、謹慎を命じられる ※長州藩内では尊攘派が盛り返していた。 |
6/10 | 久光、大原、江戸城に登城し、人事刷新を含めた幕政改革を求める (文久の改革)。 ※※慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政治総裁職に就かせようとした。久光は外様でありながら朝廷の力を得ることで、幕政に参加しようとしたのだ。 ※朝廷から幕政改革の指示が飛ぶという前代未聞の例。 ※京都守護職を新設して会津藩主・松平容保が任命されることになる。 ※大原は幕閣に攘夷を迫る。 ※家茂の上洛も迫る。 |
(※1)坂下門外の変
安藤は1862年、江戸城坂下門外で水戸藩を脱藩した浪士らに襲われて負傷し、まもなく失脚した。
「詳説日本史研究」p323
とっさに逃げたために「背中を斬られた」ことが、
「相手に背を向けるとは武士にあるまじき」という理由で、
OB連中からダメ出しされた。
ホント、もったいない人事だ。
安藤信正どのは、その後、戊辰戦争で奥羽列藩同盟の一員として戦っておられる。
斬られた直後も包帯まいてオールコックと会見しているというから、
武士として立派である。
(※2)島津久光
幕府による公武合体策は頓挫したが(中略)、朝廷・幕府の双方につながりの深い外様の薩摩藩が、独自の公武合体策の実現に動いた。
「詳説日本史」p324
その後押しを得て、
将軍家と政略結婚もしていた、みたいな。
志半ばで倒れた兄・島津斉彬の夢は幕政参加でした。
久光は兄の夢を果たそうと考えていたようです。
って、あっ、声が漏れちゃった。聞こえてた?
久光を再評価する動きもあります。(↓)
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久光は公武一和を掲げるつもりでしたが、
攘夷実行と早とちりする志士たちもいました。
藩論を統一すべく、薩摩藩士が勝手に議論をすることを禁じていたはずでしたが、
それでも勝手に議論、、、どころか公武合体派の暗殺を企てるものも出てきてしまい、
それを抑えるために派遣した薩摩藩士と斬り合いになったのが「寺田屋事件」です。
修学旅行じゃないんだから、
もうちょっとテンション下げろって!
当時、天皇も公武一和を目指していたため、
この件もあり、久光は朝廷の信頼を受けるのです。
薩摩藩とは別の道を歩むのじゃ。
天皇が尊攘派を嫌っているんだから、
「尊王」はないでしょ。
朝廷のお墨付きを得た久光、
島津の軍事力を得た朝廷、
は、ともに江戸へ向かって、幕政改革を迫るのです。
あ、ちなみに私、囲碁の腕前はアマチュア最強レベルです。