~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表㊴:1875年】『ラペルーズ海峡ヲ以テ両国ノ境界トス!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「幕末年表㊴:1875年」です。

2月に「大阪会議」が行われました。

これにて、征韓論後に政府を去った板垣退助、

台湾出兵に反対して政府を去った木戸孝允の参議復帰が決定しました。

また、「漸次立憲政体樹立の詔」を発して(4月)、国会開設を進める声明も発表しました。

一方、「讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例」も制定して(6月)、反政府的言論を制御します。

対外的には「樺太・千島交換条約」でロシアとの国境を策定(5月)、

アメリカと帰属問題が生じていた小笠原諸島の領有をイギリスに認めてもらったりもしました(11月)。

朝鮮とは「江華島事件」(9月)が生じます。

1875年(明治8年)年表

2/11大阪会議(※1)

※大久保利通が板垣退助、木戸孝允と会合。
※彼らを政権に復帰させて、政権の強化をはかる。
※「漸次ニ国家立憲ノ政体ヲ立テルコトヲ約束ス…」(→漸次立憲政体樹立の詔)
2/22板垣退助ら、愛国社結成

※大阪にて。
4/14漸次立憲政体樹立の詔(※1)

元老院(立法諮問機関)大審院(司法機関)を設置。
※さらに、府知事、県令を集めて「地方官会議」を開く方針を定める。
5/7樺太・千島交換条約調印(※2)

※日露和親条約で樺太は日露両国の雑居地とされ、ロシア人、日本人、アイヌ人の三者が混在する状況であった。
※樺太を放棄する代わりに千島列島を得る。
※のち、1905年のポーツマス条約で南樺太を得る。
6/20地方官会議開会
6/28讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例制定

※立憲政治への準備を進める一方で、反政府的言論活動は取り締まる。
※1883年に改正強化、1909年「新聞紙法」に至る。
※初の処罰を受けたのは曙新聞の末広鉄腸。この条例に批判したため。
9出版社条例改正
9/20江華島事件(※3)
11/明六雑誌、廃刊
11/イギリス、小笠原諸島を日本領と認可

※アメリカも1876年に承認。
この時期は国内問題、国外問題と変化がめまぐるしくいですねー。

基本路線として、士族をなくしたこと、

諸外国と国境を定めたことは覚えておいてください。

(※1)漸次立憲政体樹立の詔

1875年(中略)、板垣・木戸を政府に復帰させて政権の強化をはかるとともに、「漸次ニ国家立憲ノ政体ヲ立テ」ることを約束する漸次立憲政体樹立の詔を発布し、立法諮問機関である元老院と司法機関である大審院を設置した。

「詳説日本史研究」p351
しょうがないな、頼まれてしまっては。
 
その一方で、「讒謗律・新聞紙条例」を制定して、反政府的な言論を取り締まるのである。

立憲政治を目指すが、主導するのは我々だ。

【讒謗律】

第一条 事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者、之ヲ讒毀(ざんき)トス、、、

【新聞紙条例】

第十三条 政府ヲ変壊シ国家ヲ顚覆スルノ論ヲ載セ、騒乱ヲ煽起セントスル者ハ、禁獄一年以上三年ニ至ル迄ヲ科ス、、、

末広鉄腸さんは茶化しただけだったので、8ヶ月で済みました。
SNS全盛の現在こそ讒謗律が必要?

悪質なデマとかは、政府じゃなくても困りますよね。

(※2)樺太・千島交換条約

ロシアの南樺太への進出が強まるにつれ、政府内部は北海道開拓に全力を注ぐため樺太を放棄しようという意見が強くなり、開拓次官(のち長官)黒田清隆(1840ー1900)の主張が通って、1875年、全権公使榎本武揚は樺太・千島交換条約に調印して、樺太全島をロシアにゆずり、その代償として千島全島を日本領と定めた。

「詳説日本史研究」p344
榎本武揚
交渉はおまかせあれ。

日本側全権はこの私。

ロシア側全権はゴルチャコフ氏、77歳。

清とアイグン条約(1858年)を結んだのも彼でした。

黒田清隆
樺太内に国境を画定した方が良いという意見もございましたが、

 

北海道開拓に専念するには、いっそ手放したほうが良いと思い、建議しました。

榎本さんとは敵として戦った箱館戦争以来の仲なんです。

樺太全島ハ悉ク魯西亜帝国ニ属シ、「ラペルーズ」海峡ヲ以テ両国ノ境界トス。(第一款)

爾後「クリル」全島は日本帝国ニ属シ…(第二款)

ラ・ペルーズ海峡とは今でいう宗谷海峡ですね。

稚内の北です。

クリル全島というのは、千島列島のことです。

第二次世界大戦後に日本は放棄し、ソ連が実効支配しています。

北方四島は千島列島ではないので、日本の領土とするのが日本の主張、

北方四島も千島列島で日本の領土ではないとするのがロシアの主張です。

大久保利通
そもそも、アジアは明確な国境画定という概念がありませんでした。

国境画定という考え方は西洋からのもので、我々もこれに則り、近代国家として生まれ変わるのです。

私、あまり人気ないのですが、やることぬかりないでしょ?

(※3)江華島事件

朝鮮問題は紛糾を続けたが(中略)、1875年軍艦雲揚を派遣し、朝鮮の沿岸で測量を行うなど示威の行動をとった。

同艦の船長が首都漢城(現ソウル)に近い漢江河口の江華島にボードで近づくと、同島の砲台から砲撃を受けた。

そこで雲揚はこれに反撃し、砲撃して砲台を破壊し、近くの島に兵員を上陸させて永宗城を占領した。

これが江華島事件である。

この事件をきっかけに、日本政府は朝鮮に圧力をかけ、翌1876年、日朝修好条規を結んだ。

「詳説日本史研究」p345
ペルリが下田に来る如きの処置なり
ペリーの挑発に我が国は応じなかったが、

朝鮮は応じた、ということですね。

うーん…文句も言えないか…
朝鮮は釜山など3港を開き、片務的領事裁判権、関税免除を日本に対して認めました。
清王朝
ん?朝鮮はわれわれの属国ではなかったっけ?
いや、独立国ですよ、ね?
へぇー、そう来るかー。
維新政府は、これまでの朝鮮ー対馬、琉球ー薩摩、アイヌー松前の関係を否定して、自ら関係を作っていくのです。

オランダー長崎を含めた「四つの口」がどう変化していくのかは1つのポイントです。