こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表㊱:1872年」です。
1872年は「学制」(8月)、「徴兵告諭」(11月)などが制定された重要年でもあります。
「国立銀行条例」(11月)、「太陽暦」(11月)なども制定されました。
鉄道が開通したのもこの年です。
1872年(明治5年)年表
1 | 壬申戸籍 ※初の全国戸籍調査実施 ※前年公布の戸籍法を施行 |
2/15 | 「田畑永代売買の禁止令」を解禁 ※「地価」を定めて土地所有者に対して土地の所在などを記載した「地券」を交付して、土地の私有制度を確立した。(この地券制度をもとに翌年の地租改正へ) ※経済・商業の自由は発展を妨げる制度を大幅に撤廃して財政安定に取り組んだ。 |
2/28 | 陸軍省、海軍省設置 ※ちなみに陸軍はフランス式、海軍はイギリス式をとる |
2 | 福沢諭吉「学問のすゝめ」 ※(現代語訳)「人は生まれながらにして平等であるというが、実際には人の間には大きな差がある。それは、なぜか。その理由は学ぶか学ばないかの違いによるものである。各々が学問を身に付け、自分の役割を果たし独立すべき。個人が独立すれば、家も国家も独立することができる。自由とわがままは異なる。学問とは自由に伴う義務を知ることである。」 |
2 | 中村正直、「自由之理」(J.S.ミルの翻訳) ※スマイルズの翻訳は「西国立志編」(1871年)。 ※自主独立の人間観を唱え、志を立てて努力すれば成功すると説いた。 ※スマイルズにしても、ミルにしても、イギリス人。 ※フランス(ルソー)→中江兆民、ドイツ→加藤弘之 |
3/9 | 御親兵を廃止し、近衛兵設置(※1) |
3/14 | 教部省設置 ※神祇省廃止 ※宣教師に代わり、教導職をおく |
3/24 | 大久保利通、伊藤博文、対米条約改正交渉の全権委任状交付を求め一時帰国 |
5/14 | 太政官布告で「社格制度」確立 ※社格制度…1871年の太政官布告により神社の格は大きく「官社」と「諸社」に分けられた。 ※官社は神祇官が祀る「官幣社」と地方官が祀る「国幣社」に分類され、そのいずれでもない官社として「別格官幣社」(靖国神社、湊川神社etc)が導入された。 ※伊勢神宮は正式に「神宮」と称し、皇祖神を祀る別格の神社とされた。 ※伊勢神宮をトップとして、官社→諸社と続くピラミッド構造。 ※主な官幣大社には橿原神宮(1890-)、平安神宮(1895-)、明治新宮(1920-)。 |
8/2 | 「学事奨励に関する太政官布告」(※2) ※「学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ)」とも言う。 ※「人たるものは学ばねばならない」 ※文部卿は大木喬任。(森有礼ではない!彼は1885年、初代文部大臣。) |
8/3 | 「学制」公布(※2) ※フランス式。 ※教育を通じて政策に自発的に協力する国民の育成を目指した。 ※実情に合わず、1879年に教育令を公布。(翌年、改革教育令)→地方の実情に応じる ※1886年、「学校令」が公布され教育制度確立。国家主義教育が行われる。(これが森有礼) |
9/12 | 新橋ー横浜間に鉄道開業 ※資金、技術はイギリスからの提供(エドモンド・モレルら)。 ※大工仕事の技術は日本も高かった。(築城などで経験していたため) ※イギリスは他の植民地同様、経営権を得ようとしたが、大隈重信が頑強に政府直営にこだわり、イギリスも理解を示した。 ※つづく1874年、大阪・神戸間、1877年、大阪・京都間開通。 ※東京から神戸までを結ぶ東海道本線全通は1889年。 |
9 | 琉球藩設置 ※琉球国を琉球藩に改称 ※藩王:尚泰 ※外交権は外務省が接収 |
10/4 | 官営富岡製糸場開業 ※フランス人技師ブリュナの指導 ※士族の子女など多くの女性従業員を集めて大規模に生糸を生産 ※生糸は輸出産業として重要であった。 |
10 | 人身売買を禁止 |
11/9 | 太陽暦採用の詔(※4) 国立銀行条例制定(※3) ※渋沢栄一らの尽力 |
11/28 | 徴兵の詔(徴兵告諭)制定(※1) |
11/29 | 山城屋和助、陸軍省で自刃 ※山城屋和助は元奇兵隊長で、明治新政府では山県有朋のもとで働いていた。 ※陸軍公金を使い込んだ疑いがもたれたため切腹した。 ※のち、山県有朋も責任をとって陸軍大輔を辞任する。 |
12/3 | 太陽暦を実施(※4) ※明治5年12月3日が1873年1月1日となる。 |
ちなみに、「天は人の上に人を造らず…」で始まる「学問のすゝめ」は人間平等を謳ったものではないですよ。
むしろ、何かを学ぶか学ばないかで、差がつくことを言っているのです。
(※1)国民皆兵への道のり!
廃藩置県によって藩兵は解散され、ついで政府は全国の兵権を兵部省に集め、4鎮台をおき、1872年3月には御親兵を近衛兵と改めた。
「詳説日本史研究」p334
そして同年11月、徴兵の詔を出し、1873年1月には徴兵令を公布して、士族・平民の身分にかかわりなく満20歳に達した男性を兵役に服させるという新しい軍制を打ち立てた。
また、鎮台も6鎮台(のちの師団)となった。
こうして組織され、洋式の装備で訓練を受けた新しい軍隊は、のちに西南戦争で大きな威力を発揮したのである。
そのため、国民皆兵の実は上がらず、1879年、1883年、1889年と3回の改正を加えて、兵役免除規定を縮小していったんです。
生血を吸われるのか…??
(徴兵告諭)
…有事ノ日、天子之(これ)カ元帥トナリ、丁壮(ていそう)兵役ニ堪ユル者ヲ募リ、以テ不服ヲ征ス。
…然ラハ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ尽シ、国ニ報セラルヘカラス。西人之(これ)ヲ称シテ血税ト云フ。其生血ヲ以テ国ニ報スルノ謂(いい)ナリ。
ちゃんと内容わかって反対運動してるっちゅうのに!
(※2)「学制」
近代化を進めるためには、国民の知識の水準を高めることが必要であった。そこで、政府は国民の啓蒙・開明化に力を注いだ。(中略)1871年、教育行政を担当する文部省を設置し、ついで翌1872年、学制を公布して、男女を問わず国民各自が身を立て、智を開き、産を治めるために学問が必要であるとする、一種の功利主義的教育感に立脚する国民教育の発展につとめた。
「詳説日本史研究」p340
…学問ハ身ヲ立ルノ財本トモイフヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ学ハスシテ可ランヤ。
修身とか唱歌の授業とかあったなぁ。
その結果、全国に2万校以上の小学校が設立され、学校教育が急速に広まった。学校教育の急速な普及は、江戸時代の寺子屋における庶民教育の伝統があったからであろう。
「詳説日本史研究」p341
進度別なんですよねー。
しかし、その時、女子の就学率は18.7%でした。
農村では子供も貴重な労働力ぜよ!
授業料も払えなんて、バカバカしいっ!
しかし、理想と現実のギャップから、1879年の教育令をもって、廃止されます。
私教育には公教育にはない魅力があります。
かくいう私や、大村益次郎は緒方洪庵の適塾(大坂)出身です。
(※3)国立銀行条例
政府は近代的な銀行制度の移植をはかり、伊藤博文・渋沢栄一らが中心となってアメリカのNational Bankの制度にならって、1872年、国立銀行条例を発布した。そして翌年から民間の出資を仰ぎ、第一国立銀行(三井組、小野組の出資)をはじめとして、各地に民間の国立銀行が設立された。
「詳説日本史研究」p338
「国立銀行」とは、英語の「national bank」の訳で、「国の法律に基づく銀行」という意味だそうです。
資本金の60%までは紙幣発行が認められ、40%は正貨を準備して兌換にあてる決まりでした。
ところが兌換希望が殺到して、業績不振となります。
そのため1876年に早くも「正貨兌換」が廃止されます。
紙幣濫発によりインフレとなりましたが、市場にお金が増えたせいで、産業の創出には役立ちました。
(※4)太陽暦
政府は西洋諸国の例にならい、これまでの旧暦(太陰太陽暦)を廃止して太陽暦を採用することとし、旧暦の明治5年12月3日を太陽暦の明治6年1月1日とした。そののち、日曜の休日制なども採用された。
「詳説日本史研究」p342
そんなんでは外国からも尊重されないんっすよねー。
ひな祭りも3月3日じゃ桜も咲いてないしまだ寒いでしょ。
8月にやった方がロマンチック。
明治新政府はとにかく財政難。