~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「幕末年表㉝:1869年」です。

1869年に起きた大きなことを2つ挙げるとすれば、

1つは榎本武揚降伏による「戊辰戦争の終結」

もう1つは「版籍奉還」です。

「東京遷都」「大村益次郎暗殺」もありました。

1869年(明治2年)

1/5横井小楠暗殺
1/20薩長土肥の4藩主、「版籍奉還」を上表(※1)

※藩主は「知藩事」に任命され、現体制を維持。
2/3米国、装甲艦「甲鉄」、新政府軍へ引き渡し

※開陽丸より強力。
※新政府軍の手に渡って貿易の妨害などをされる心配があったため、なかなか引き渡さなかった。
3/7明治天皇、再び東京へ向かう

※「公議所」も設置。
3/25宮古湾海戦(@岩手)

※旧幕府軍は「甲鉄」を奪おうと試みるも失敗
3/28明治天皇、「東京城」入城(※2)

※東京が首都となる
4/9新政府軍、蝦夷地上陸
5/3わずかな藩をのぞく262藩が版籍奉還上表提出
5/11土方歳三、戦死
5/18榎本武揚降伏、箱館戦争終結(※3)
6/11兵制会議

藩兵に依存しない政府直属軍隊を作ろうとする大村益次郎(農兵論=一般徴兵論)と、薩摩・長州・土佐藩兵で固めようとする大久保利通(藩兵論)の間で論争
6/17諸侯に「版籍奉還」が勅許される
7/8二官六省制に(※4)

※神祇官と太政官の二官、外務省、大蔵省、兵部省、民部省、刑部省、宮内省の六省。
※公議所、集議院に改組
8/15蝦夷地、北海道に改称
9/4大村益次郎、刺客に襲われる(※5)
11/5大村益次郎死去

(※1)版籍奉還

1月、薩長土肥の4藩主は、版籍奉還の上表文を提出した。すべての土地(版)と人民(籍)は天皇のものであるとして、朝廷に奉還を願い出たものである。3月までには、ほとんどの藩がこれにならった。政府は、これにより全国支配権を握る一方、藩主をそのまま知藩事としたため、藩体制は維持された。

「日本史のライブラリー」p210
大久保利通
版籍奉還の計画・実行の中心人物は私、大久保利通と、木戸孝允殿です。
木戸孝允
薩長土肥の4藩が先に行えば、他の藩もこれにならうでしょう。

そして、同年6月には新政府はこれを認めるとともに、奉還を申し出ていない藩主にも奉還を命じ、旧来の藩主を改めて知藩事に任じて、石高にかわりその10分の1を家禄として支給し、これまでの藩政にあたらせた。

「詳説日本史研究」
次の廃藩置県までのステップでごわすな。
戦いはまだ終わっていねぇぞ。

(※2)東京遷都

東京遷都を断行して、従来の旧習を一新して新政を推進する決意を示した

「詳説日本史研究」p331
「ご一新」がいつの間にか「維新」と呼ばれるようになったわけです。

教科書には「遷都」と書かれておりますが、専門書では「奠都(てんと)」と書かれておりますね。

「遷都」が都を移ることであるのに対し、

「奠都」は都を新しくつくることを意味するそうです。

しかしまあ、よく遷都できましたねぇ。

公家方の反対もあったでしょうに。

はい。しかし、旧習を一新するには今なんです。

また、東西の分裂を防ぐためでもあります。

そう、そのとおり。
 

(※3)戊辰戦争、終結!

1869年5月には、旧幕府の海軍を率いて箱館の五稜郭に立てこもり抗戦を続けていた榎本武揚らも降伏し、ここに戊辰戦争は終わりを告げ、新政府のもとに国内統一がひとまず達成された。

…1年5ヶ月にわたる戊辰戦争の死者は8200人余りで、その後の変革の大きさに比べて流血は小規模であった。

「詳説日本史研究」p329
同時代のアメリカ南北戦争(1861-1865)で死者62万、フランスのパリ=コミューン事件(1871)では1週間で3万人ですからね。
それでも流す必要のなかった血もたくさんありましたよね。
「時代を追うな!夢を追え!」なんてカッコいいセリフを言ったかどうかはさておき、「燃えよ剣」を観てください。

岡田准一くらい、私はカッコよかったかな。

銀魂」も最初の構想は土方が主人公だったとか…。

ゴールデンカムイにも重要な役柄で出演するし…。

榎本武揚
土方どの…、あっぱれでした。

私は降伏します。やむなし。

ただ、私の知識は日本に役立てたい…

黒田清隆
敵であれ榎本どののような御仁を処刑しては日本の損失だ!

あ、私、黒田清隆。のちの総理大臣でもあります。

酒さえなければまともな方です。

(※4)二官六省制に

版籍奉還の直後、中央官制に大きな改革が行われ、神祇・太政の2官をおいて祭政一致の形式をとるように改められた。

詳説日本史研究p334
版籍奉還は上表→許可、という手順で成立しました。

そしてまもなく、官制改革が行われ、二官六省制となります。

ポイントは神祇官が独立して、形式上、太政官と並んだ点でしょうか。

初代神祇伯には中山忠能がなっております。

もっとも、またしばらくして神祇省に降格するのですが(1871年)。

島津久光
版籍奉還など苦しゅうない。っていうか、どうせ返ってくるんでしょ。

それより私はいつから国政に参加するんだ?

残念ながら、次の「廃藩置県」で大改革が起きるのですよ…

(※5)維新の立役者、大村益次郎暗殺!

国家を強化するため、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、徴兵制による国民を基礎とした近代的軍隊をつくりあげることが必要とされた。この方針は版籍奉還直後から大村益次郎によって立案され、彼が暗殺されたのちは、山県有朋(1838-1922)を中心に具体化された。

「詳説日本史研究」p334
旧幕府軍が降伏した今、次にすべきことは兵の近代化ですねー。

そのためには武士階級を取っ払って徴兵制にすることが必要でしょう。

あと、やっぱり西郷隆盛を警戒するために西に軍事拠点を設ける必要がありまっせ。

うーーん…。

徴兵制では維新に貢献した我々の旨味がなくなってしまうではないか…?

武家階級をなくすだと…

なにぃーっ。

暗殺実行犯は大村益次郎の急進的な兵制改革案に不満を持つ士族だったと言われております。

戊辰戦争の英雄ともいえる大村益次郎はこのときの傷がもとで亡くなりました。

すぐに手術すれば治ったんですがねー

天皇の勅許が要るとかゴタゴタしてる間に手遅れになっちゃったんですよ。

同志を失った…(涙)
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