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『徳川十一代家斉の真実~史上最強の征夷大将軍~』(小泉俊一郎、2009年)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「徳川十一代家斉の真実」(小泉俊一郎、2009年、グラフ社)です。

【読書メモ編はコチラ】

 

家斉は、「対外危機が迫っていると言うのに大奥で散々浪費した」というイメージでした。

しかし、武家社会となって以来、将軍権力はMAXであり、なお経済力も最高。

さらに文化レベルもピークになっていたため、「家斉こそ最強」、という主張です。

頼山陽も「日本外史」において、「武門の天下を平治すること、ここに至ってその盛を極むと云ふ」と書いているそうです。

また、化政時代(1804~1829)には欧米諸国の模倣なしに産業革命の第1期にあたる「マニュファクチャー」が完成していた点が特筆に値すると言われます。

 <マニュファクチュア>(工業制手工業)

地主や商人が工場を設け、そこに賃金労働者を集め、数次にわたる製造工程を1人ではなく分業や協業で行うこと。

分業であるために作業効率が向上し、生産能力が飛躍的に上がるが、技術水準は前近代的なものにとどまる。

経済史では、農民の副業として発展した問屋制家内工業の次段階とされる。 (家でやるのではなく工場でみんなでやる)

産業革命以降は、工場内で機械を用いて製品を大量に生産する工場制機械工業が工場制手工業の次の段階として登場する

つまり、
「問屋制家内工業」
→「工業制手工業」
→「工業制機械工業」
ということじゃな。

また、絹織物、綿織物、醸造業などが成立しており、原料の仕入れ、製品の出荷に北前船などの流通網が発達していました。

家斉の前段階では、田沼意次が政権を担っておりましたが、

田沼意次がやろうとしたことは、

①大名領の百姓に課税すること、
②町人にも課税すること。

これを行うと、「幕藩体制」から、将軍を国王とした「絶対王政」の時代が誕生したことでしょう。

つまり、田沼は明治維新の100年ほど前に「幕府の手による維新」をやろうとしていたのです。

歴史にifは禁物ですが、もしも田沼意次路線が長続きして、田沼&家斉という組み合わせであったら、日本の経済が栄えていたのではないか?と書かれております。

※残念ながら田沼意次の息子暗殺後、田沼自身も失脚。家斉が将軍になった際には倹約家・松平定信が筆頭老中になる。

それにしても、家斉って50年も権力の座にいたんですよね…。そして、死んでから倒幕までは26年という短さだったんですよね…

文化は栄え、金回りも良かった。
名君だった「一面もある」、
と覚えておこう。

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