こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「父が子に語る近現代史」の「日露戦争以後」についてです。
それまで、偏った考えをもっていましたが、本書を読むことでだいぶ改まりました。
2009年の書籍ですが、2019年に文庫本発売となりました。
オススメです。
なお、これより前のパートの読書メモにつきましては【コチラ②】を。
大正デモクラシーと「常民」の発見
1912年、明治天皇崩御。この年、美濃部達吉による天皇機関説と政党内閣論が発表。当時は常識として受け入れられていた。
【天皇機関説】
「天皇」は「日本」と言う国家の1つの「機関」であって、恣意的に支配や統治を存在する存在ではないとする説。
大正から昭和初期は政府公認の学説であり、政党政治を支える役割を果たした。
【政党内閣論】
「天皇機関説」にもとづいて、実際の政治は議会の多数党で行なうとするもの。
憲法の規定では総理大臣は天皇が自由に任命できることになっているが、これは形式的なものとなった。
1916年、長州閥の軍人・寺内正毅が元老の意を受け組閣し、政党を無視した政治を開始した。
1916年当時、東大教授の吉野作造は「民本主義」を主張した。帝国憲法内でも民主主義が実践可能であることを示したものである。日露戦争を経て平民の声が強くなったことが挙げられる。 【コチラも】
1918年、米騒動で寺内辞職。議会多数党であった立憲政友会総裁の原敬が総理大臣に。
【柳田國男】(1875-1962)
※柳田邦男ではありません。
民俗学者。
政治家ではなく一般民衆(常民)を調査することで、古来からの信仰や慣習を紹介し、近代化によって失われつつある日本人本来の姿を提示した。
現在では柳田の民俗学は、所詮は江戸時代後半以降に過ぎないこと、アジアの諸地域との比較考察なしに安易に日本の独自性と一体性を強調していることなどから批判されていますが、
柳田がこの時期に「常民」に注目し、そこから日本を再考した姿勢が画期でした。
常民は必ずしも合理的にものごとを考えない。
このことがわかっていないと、なぜ軍部が吹き込んだ皇国史観・神国思想を信じて愚かな戦争に突入したかがわからない。
昭和が戦争にいたった責任は「ふつうの人たち」にもあると考える。
近代以降の宗教の力は過小評価されている。
当時、常民の心を動かしていたのは西洋思想、吉野作造、美濃部達吉らの思想でもなく、新興宗教であった。
「吉野朝」と国家神道
1904年、民間教科書が「南朝正統論」を採用。
一方、「南北朝」を併記した国定教科書(喜田貞吉)は野党により糾弾。
教科書は書き換えられた。明治天皇も正式に南朝を正統と認める。常民にとって南北朝並立というのはわかりにくいので、なぜ吉野朝が偽天皇とその政府に膝を屈することになったのかは教えられることがなかった。
明治維新の中核メンバーは南朝史観。
「国民宗教」とは国家神道。
明治維新後、天皇を祀った神宮は橿原神宮(神武天皇)、近江神宮(天智天皇)、平安神宮(桓武天皇)、吉野神宮(後醍醐天皇)など。
これらは明治政府の国策で新たに設けられた神道施設である。
地元民はこれに積極的に参加。
古代皇族である日本武尊、神功皇后、聖徳太子も神格化された。
明治の人々は彼らが日本国創設の功労者として信じていた。
(日本武尊はある地域にとっては侵略者であるが、その地域で篤く信仰されていたりする。)
「国家神道」は天皇と親族を「神々」として再編成し、臣民の忠誠心を確実なものにしようとした。
常民にもそれを受け入れる精神構造が存在した。
大正から昭和へ
1926年から昭和がはじまる。
当時、いずれの政党も社会問題に適切に対応できず、軍部が期待された。
もともと明治維新は市民革命ではなく、軍人革命である。軍人はエリートを集め、ますます発展。
彼らは民衆の苦しみを救うべく、「先輩たちができたように」自分たちも良かれと思って海外侵略に向かって突っ走っていった。
「一を聞いて十を知り百を忘れる」のが大日本帝国軍部。
軍部の台頭を考える
禁門の変ー幕長戦争ー戊辰戦争ー日清戦争ー日露戦争ー日中戦争ー太平洋戦争は一つの直線。
誰かがこの線を描いたからこうなったのではなく、誰もがその線を消すことができなかったために太平洋戦争に突入してしまった。
- 軍縮条約は統帥権干犯と抵抗、1930年浜口雄幸暗殺未遂、1932年犬養毅暗殺。
- ドイツではナチが台頭。広田弘毅は国策でアジア進出を決め、ナチとは連携。文民出身であったが、軍部に理解を示したがゆえに戦後処刑されることに。
- 1936年、二二六事件。事件そのものは失敗だったが、陸軍内部の抗争がこの事件で決着したこともあって、政策決定への影響力は深まった。
- 1937年、近衛内閣成立。盧溝橋事件で日中戦争に突入。「蒋介石は交渉相手ではない」と宣言(1938年)して自ら講和の道を閉ざし、泥沼の戦争に突入。
戦争の責任を考える
日比谷事件(ポーツマス講和条約後)は常民が常に平和を愛するわけではなく、戦争に酔いしれる場合もあることを示す例である。
「自分たちは騙されていた」では済まされない。
醒めた目で戦争を批判する人たちは「非国民」扱いされた。
「非国民」扱いしたのは常民である。
1968年
★世界史的に重要な年である。
★日本:明治維新100周年
★アメリカ:1965年からベトナム戦争。反戦運動盛んに。
★中国:1966年から文化大革命。実際は毛沢東が仕掛けた権力闘争。
★フランス:大規模な学生運動
★東欧:チェコスロバキアで「プラハの春」 。それから40年でさらに変貌。
シルクロードと韓流ー幻影二題
新疆ウイグルでは核実験が行われ、少数民族は弾圧されている。
NHK「シルクロード」(1970年代後半)はそれを一切伝えなかった。
★「坂の上の雲」でも韓国に触れなかった。
★江戸時代後半からの200年来、日本のアジア認識はいろいろ誤ってきたが、今後は東アジアと友好関係を維持発展させていかなくてはならない。
★歴史は科学という人がいるが、文学であろう。「絶対的真理」を主張すると、圧政が正当化されたり、戦争が引き起こされてしまう。
複数の歴史が存在する方が多様な世界においては健全。