~只今、全面改訂中~
  • 2019/09/28
  • 2021/01/19

☞【受験にも役立つ、感情のコントロール!】『感情の解剖図鑑』(苫米地英人、2017年)

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、苫米地先生の「感情の解剖図鑑」(2017年)です。 うわーとなってしまうこと、ってありますよね・・・。 でも、その「感情」ってマイナスなんです。 一言で言いますと、そうなってしまうと前頭葉を使った冷静な判断ができなくなってし […]

  • 2019/09/26
  • 2021/01/21

☞【大逆転への布石】「何でもいいから得意分野を作れ」

こんにちは。 今回は、「どうすれば大逆転を起こせるか」をテーマにしたいと思います。 一点突破あるのみ! 日本史に限らず、なるべくならテストで良い点をとりたいのだけれども、なかなかテストでの成績が上がらない、上がる見込みがなさそうだ、上げ方がわからない、という方 […]

  • 2019/09/25
  • 2021/01/21

☞【習うより慣れろ?】「花粉症型勉強法」とは?

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、とある雑誌記事で目にした「花粉症型勉強法」についてです。 「花粉症型勉強法」とは何か 立ち読みしていた雑誌に、「花粉症型勉強法」という勉強法が紹介されていました。 →おそらく、Forbesという雑誌でしょう。【コチラ】 「花 […]

  • 2019/09/23
  • 2021/05/08

☞【国内クーデターの可能性もあった!!】『§14.聖断と終戦の政治過程』(昭和史講義)

★6月8日の御前会議の決定どおり、本土決戦となって東京が危ういとなったら天皇は長野県松代に移動する計画がなされていた。★2つの原爆とソ連参戦、どちらがポツダム宣言受諾に影響を与えたのかという議論がなされるが、松代遷都案が間に合わない可能性や石油が切れたことも一因とされる。★ソ連参戦からポツダム宣言受諾までは連合国が予想していたよりも早かった。★天皇は国内クーデターも起こらないように配慮しなければならなかった。★8月14日、ポツダム宣言受諾、8月15日、玉音放送、降伏文書調印は9月2日。

  • 2019/09/22
  • 2021/03/16

☞【米国は日本に戦争を仕掛けられる選択肢をとったが、真珠湾奇襲までは知らない、というのが現時点での答え】『§13.日米交渉から開戦へ』(森山優先生)

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、昭和史講義『§13.日米交渉から開戦へ』(森山優先生)です。 ものすごく勉強になりました。 もし公開講座をやっているとすれば、森山教授がいらっしゃる静岡県立大学まで聞きにいきたいとすら思いました。 【これまでの理解】 ★米国 […]

  • 2019/09/21
  • 2021/03/25

☞【大政翼賛会は精神運動組織に過ぎない】「近衛新体制と革新官僚」(『昭和史講義』§12.)

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、昭和史講義『§12.近衛新体制と革新官僚』、牧野邦明先生です。 今まで、近衛新体制というと、「あー、コミンテルンのスパイがいっぱい紛れていた組織ねー」というイメージしかなかったのですが、浅はかでした。 【まとめ】 ★当初はナ […]

  • 2019/09/20
  • 2021/03/22

☞【英米を敵に回してまで結んだ“空洞条約”】「日独伊三国同盟への道」(『昭和史講義』§11.)

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「1940年、日独伊三国軍事同盟」についてです。 昭和史講義『§11.日独伊三国同盟への道』(武田知己先生)を参考にさせて頂きました。 【これまでの理解】 ★「日独防共協定」は「対ソ連」という意味合いであった。その後ドイツか […]