こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「チャーチルとルーズベルトが戦争を望んだ?」という研究結果です。
チャーチルはヒトラーの停戦希望に耳を貸しませんでした。
一体どういうことなのでしょう。
以下、2019年7月刊行の『太平洋戦争の新常識』、第4章「日中戦争が日米戦争の原因ではなかった」(渡辺惣樹先生)を参考にさせて頂きました。
日米開戦の原因について
★日米開戦の原因はルーズベルトとチャーチルがナチスとの戦いを望んだからであり、日中戦争は一側面に過ぎない。
アメリカには停戦させるだけの力があった
そもそもナチスドイツはイギリスとは戦いたくありませんでした。
ずっと、停戦の機会を探っていました。
ルーズベルトは盛んにドイツを挑発していましたが、ヒトラーはアメリカの挑発に乗るなと厳命していました。
そもそも、アメリカには初期の段階で停戦させるほどの力がありました。
しかし、ルーズベルトはそれを選択しませんでした。
いかにも連合国vs枢軸国みたいになっているけどね。
そもそも独ソは激突必至と言われていただけに、そこでとどめておくという手もあったはずだ。
チャーチルにしても。
チャーチルの対米工作
チャーチルは対米工作を行い、アメリカ世論を戦争に向かわせようとしました。
これには強烈な自信があったと言われます。
(そのためにMI6も動いている。)
結果的にルーズベルトはもちろん、FBIも協力することになります。
※同時に「大陸不干渉」を主張するジャーナリストなどは次々と意見発表の場が奪われ、新聞社は英国への同情心とアメリカ本国の危機を煽りました。
現代においても幅をきかせております。
ヒトラーの停戦工作
ヒトラーは英仏とは戦いたくありませんでした。
東方に行く予定でした。
宣戦布告したのは英仏です。(←これ、割と見落としがちですね。)
1941年5月10日、ヘス副総統はパラシュート降下してスコットランド防空担当のハミルトン公に会いに行きました。
彼を通じて国王ジョージ6世に頑迷なチャーチルを説得してもらおうと依頼したのです。
ヘスは厳重な監視下に置かれていましたがチャーチルは彼に会おうとしませんでした。
正統派の語る歴史ではゲーリングが講和に前向きであったこと、ヘスの決死行などは語られない。
ちなみに日本も悪のレッテルを貼られ(実際はソ連の対日参戦準備が整うまで)、なかなか停戦させてもらえませんでした。
★ヒトラーとスターリンという2人の怪物の戦いは不可避であるため、両者が死闘を続け国力が弱った段階で仲介に入るべき、というフーバーの見立てには合理性がある。【コチラも】
★チャーチルとルーズヴェルトの対独講和意思の欠如は重要な要素である。対米世論工作は失敗したために、対独参戦に日本が利用されたともとれる。
ヒトラーは英仏と戦うつもりはなかったこと、講和に向けてのヘス副総統の決死のパラシュート訪問など、目から鱗の連続でした。
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