~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

米国がどうしても太平洋戦争に参戦したかった理由は、ソ連がドイツに負けそうになっているチャーチルから聞かされていたからである。

ソ連が負けると、ドイツは西方に兵力を集中でき、イギリスをやっつけるであろう。そうなると世界は大きく分けて、ドイツ・アメリカ・日本になるため、アメリカがドイツと日本に挟撃される。これを一番避けたかったので、ソ連を助けるべく、日本の目を北方ではなく南方の資源に向けさせた。

米英とイデオロギーが全く異なるソ連がヤルタ会談のテーブルにいるのはそう背景があってのことである。

特集1:「昭和史の本質」

1941年7月、日本は南部仏印へ進駐した。これは当面の資源を確保しておこうとするものであった。

それに対して、8月1日、アメリカは対日石油制限を発表した。ルーズベルトは全面禁輸を意図していなかったが、アメリカ政府内の対日強硬派により、実質的に全面禁輸措置となった。

そのことを近衛文麿首相が把握したのは8月7日。そしてなんとルーズベルトが知ったのは9月上旬である(!)。しかし、ルーズベルトはソ連の危機を知り、全面禁輸を継続させた。

もし、関東軍がソ連に雪崩れ込めば、ソ連はドイツと単独講和を結ぶかもしれない。そうなるとドイツはイギリスとの戦いに専念でき、イギリスも敗れるであろう。

そうなったときに、アメリカは「ドイツと日本に挟まれる」という最悪のシナリオが完成してしまう。

アメリカは禁輸継続すれば日本はソ連ではなく、石油を求めてオランダ領インドネシアに向かうと考えていた。 (川田稔先生)

川田先生の著作は実に勉強になりました。

また、「国際協調」を謳う幣原喜重郎に対して、吉田茂は「国際協調は空言」と早くから警笛を鳴らしていたという話も掲載。

1945年のヤルタ会談。写真はwikipediaより。

【追記】

3つの会談と参加国を覚える。

カイロ宣言(1943)…米英中。FDR(フランクリン・ルーズベルト)、チャーチル、蒋介石

ヤルタ会談(1945)…米英ソ。FDR、チャーチル、スターリン(※ソ連参戦の密約)

③ポツダム会談(1945)…米英ソ。トルーマン、チャーチル(のちアトリー)、スターリン。(※ポツダム宣言は米英中。ソ連は日本と国際条約結んでいるだろって)