こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㊱:1333年5月」です。
六波羅軍の応援に来ていたはずの足利高氏は幕府から寝返るや否や、瞬く間に六波羅探題を陥落させました。
一方、東日本では新田義貞が群馬で挙兵し、高氏の息子・千寿丸(足利義詮)と合流して、さらに味方を増やし、鎌倉幕府を一気に攻め滅ぼします。
得宗・北条高時、内管領・長崎高資ら800人以上が、東勝寺で自害し、鎌倉幕府はここに滅亡しました。
(持明院統)正慶2年(1333年)年表
(大覚寺統)元弘3年(1333年)年表
5/7 | 足利高氏、六波羅探題を陥落させる ※六波羅探題北方の北条(普恩寺)仲時と、南方の北条時益は光厳天皇と後伏見上皇、花園上皇を奉じて鎌倉を目指す。 ※南方の北条時益は落ち武者狩りに遭い、討ち死に。 ※高氏の妻・赤橋登子、子・義詮は鎌倉からの脱出に成功するも、長子・竹若は幕府の追手によって殺害された。 |
5/8 | 新田義貞、上野で挙兵 ※鎌倉へ進軍する。 ※軍費催促が直接的な理由と書かれることが多いが、足利高氏の指令によるものと考えられている。 ※わずか150騎でのスタートであったが徐々に膨れ上がる。 |
5/9 | 六波羅探題北方・北条仲時自害 ※伊吹山への道には近江・佐々木道誉はじめ後醍醐天皇の軍勢が、そして美濃では土岐氏が後醍醐側についており、天皇らの行く手を阻んだ。 ※北条仲時および随行していた432人の従者は自害。天皇らは捕らえられて京へ戻された。 |
5/11 | 小手指原(こてさしがわら)の戦いで義貞軍勝利 ※現在の埼玉県所沢市。 ※この頃、足利高氏の息子・義詮(当時4歳:幼名千寿丸)も紀五左衛門らに連れられて鎌倉を脱出して合流。 ※義詮の合流により多くの東国武士が義貞の味方についた。 |
5/12 | 久米川の戦いで義貞軍勝利 ※現在の東京都東村山市。 |
5/15 | 分倍河原(ぶばいがわら)の戦いPART1、幕府軍勝利 ※現在の東京都府中市。 ※幕府軍は北条泰家(高時の弟)を大将に任命。 ※幕府軍が勝利するが、追討ちをかけなかった。 |
5/16 | 分倍河原(ぶばいがわら)の戦いPART2、義貞軍勝利 ※義貞軍は大多和義勝軍6000人をはじめ、新たな軍勢を得て幕府軍を打ち破る。 ※大和田義勝は当初、幕府軍の先陣として出動。これが寝返ったため、幕府軍は態勢を立て直すことができなかった。 ※短期間でこれだけ兵を集めることができたのは、足利高氏の威光と、六波羅探題を攻め落としたことによる側面が大きい。 ※北条泰家は鎌倉へ逃げ帰った。逃げ帰った後、得宗被官・諏訪盛高に兄の子(のちの北条時行)を託す。 |
5/18 | 義貞軍、鎌倉到達 ※軍を極楽寺、巨福呂坂(こぶくろざか)、化粧坂(けわいざか)に分け、同じく三手に分けた幕府軍と合戦。 |
5/22 | 北条高時ほか873人が東勝寺で自害、鎌倉幕府滅亡 ※鎌倉中で6000人近くが死亡したと伝えられる。 ※鎌倉幕府9代将軍、守邦親王は出家(3ヶ月後に死去)。 ※高時の弟・泰家は自害したと見せかけて陸奥国へ落ち延びる。 |
5/25 | 鎮西探題滅亡 ※北条英時、自害。 ※少弐貞経、大友貞宗、島津貞久による。 ※島津貞久は6月の論功行賞で大隅・日向・薩摩の3カ国の守護となる。 ※少弐貞経は筑前・豊前の守護に、大友貞宗は豊後の守護に。 |
「歴史に名高い新田義貞」と郷土かるた(上毛かるた)にありますからね。
でも、君、実際のところ、僕の舎弟だったんだよねっ!
しかし、私が鎌倉幕府を滅ぼしてから、誰かが私たちを離反させようとしているような。。。
それと千寿丸(足利義詮)様の御威光のおかげかと。
まあ、こちらは私にお任せください。
義貞は自分がリーダーだと思っていたが、すぐに足利一族の細川氏が鎌倉に下って義貞を追い出し、義詮を主君として鎌倉を掌握した。
「室町の覇者 足利義満」(桃崎有一郎)第1章p20
いろいろありましたが、高時様と一緒に自害します、、
難攻不落、天然の要害と言われた鎌倉をいとも簡単に、、
剣に念を入れて海に投げ入れて潮が引いたってやつね。
ですので、私の剣どうこうではなかったのかもです。
でも、何人か取り逃しちゃったみたいだねっ!
取り逃した相手はどなたでしょうか??
そして、令和になってから少年漫画の主人公になってブレイクしている北条時行くんだねー。
その漫画、私も読みたいでございます!!
作者は「暗殺教室」で有名な松井優征先生だよ。
早くアニメ化しないかなー。
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たった1ヶ月でこんなことになるなんて、、
どの説も決定打にかけるうえに、反証されてしまうんです。
だからこそ、研究の必要性があるんですけど。
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