~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑨:1335年12月」です。

弟の窮地を救うべく、ようやく尊氏が戦争に加わりました。

尊氏の前に新田義貞は敗退。

京都へ逃げることになります。

尊氏は京都に攻め込むことを決めました。

建武2年(1335年)12月年表

12/5手越河原の戦い(静岡市駿河区)

※敗走する足利直義軍と追撃する新田義貞軍が安倍川右岸河口付近で激突。
※大激闘の末、新田義貞が勝利。
※足利直義は鎌倉へ退却。
12/8足利尊氏、出陣決意

※直義の窮状を聞いて、「直義が死んでしまっては私が生きていても無益だ」と出陣を決意した。
12/10足利尊氏、足柄峠(神奈川県箱根町)の西の竹ノ下に布陣

※箱根町に向かう。
※新田義貞は箱根峠に義貞、足柄峠に弟の脇屋義助を布陣。
12/11箱根竹ノ下の戦い

※箱根峠では新田義貞が戦いを有利に進める。
※足柄峠では足利尊氏が戦いを有利に進め、藍原沢(静岡県小山町~裾野町)で尊良親王、脇屋義助を破る。
12/12佐野原の戦い

※尊氏追討軍にいた大友氏、塩冶氏および手越河原の戦いで義貞に降っていた佐々木道誉が尊氏方に寝返り、形勢逆転。
12/13伊豆国府の戦い

※尊氏は義貞軍を打ち破る。
※義貞を敗走させたあと、尊氏は関東の支配を固めるか、京都を重視するか協議。結果として京都を目指すことにした。
12/30新田義貞、京都へ戻る
足利直義
兄さん、もうダメだ、、

殺されるーっ、、、

足利尊氏
あ、そうかーー、今から行くからまたあとで合流なー。

(それよりも時行くんは見つからなかったな、、)

新田義貞
ちょっと待った、、

うちら兄弟もまあまあ強い方だと思ってたけど、

尊氏様は何でこんな強いんだ、、

いかん、逃げるしかない、、

佐々木道誉
尊氏様についていきます。

義貞、悪ぃ。

後醍醐天皇
なにっ、義貞が負けて、尊氏軍が京都に攻め込んでくるだとっ!!

どうすればいいんじゃーー

楠木正成
天皇、お気を確かに。

まだ負けたわけではありません。

北畠顕家
尊氏さんとはいつか戦う日が来ると思っていました。
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