こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表㉜:1868年11月-12月」です。
榎本武揚らは蝦夷地(北海道)に入り、箱館を手中に収めます。
さらに新政府側についた松前兵を駆逐しようとする最中、当時日本の最大艦船であった「開陽丸」を突風で失ってしまいます。
それでも、12月15日、「蝦夷地全島平定祝賀祭」にこぎつけ、
そこで、「入札」を行い、「総裁」に榎本武揚が選ばれました。
「共和制」をうたったことから、「蝦夷共和国」とも言われ、
列国からは正式な交戦団体とは認められなかったものの、「事実上の政権」と認知されることとなりました。
しかし、旧幕府軍が米国に発注していた装甲船「甲鉄」は列国の「局外中立宣言解除」により新政府軍の手に渡ることが決定しました。
1868年(明治元年)11月-12月
11/4 | 東京市民に酒が下賜される(天盆頂戴) |
11/15 | 開陽丸、座礁沈没。 ※松前兵を追っている最中。 ※榎本は蒸気軍艦の操縦が得意で海戦には自信を持っていただけに旧幕府軍にとっては大きな痛手。 |
11/22 | 旧幕府軍、蝦夷地全島平定 |
12/1 | 榎本武揚、蝦夷地を開拓する許可を求める ※岩倉具視がこれを却下(12/14)。 |
12/15 | 蝦夷地全島平定祝賀祭 榎本武揚を総裁とする仮政府決定 ※「蝦夷共和国」とも呼ばれる。 |
12/22 | 天皇、京都遷幸 ※まだ二都制。 |
12/28 | 諸国、「局外中立」を解除 ※新政府が唯一の政府と認められる。 ※幕府が発注していた開陽丸を凌ぐ「甲鉄」が新政府軍に渡ることが決定。 |
駿府70万石に押しやられては旧幕臣たち数万人の食い扶持がない。
私が思うに旧幕臣たちに蝦夷の開拓を行わせることで、蝦夷地も潤うし、ロシアの南進にも備えることができる。
さて、どうだろうか。
それはあんたが決めることじゃないんじゃなかろうか…
なかなか面白いこと言うな。もちろん却下じゃが。
まあ、戦うしかなさそうですね。
(開陽丸さえあれば…orz)
榎本武揚どの、敵ながら傑物じゃのう。
「局外中立宣言」はそろそろ解除して頂けるんでしょうね?
あぁ、あれね…。いいよー。
蝦夷地の政権は「事実上の政権」と考えているけど。
ぬぬ。局外中立宣言を解除してしまった、ということは、「中立」を標榜する必要がない、つまり新政府軍を唯一の政権と認めてしまった、ということか…。
旧幕府軍として発注していた「甲鉄」が新政府軍のものになってしまうのは痛手だ…。
今は酒を飲み浮かれるときではない。