(※5)五箇条の御誓文
混同されがちですが、「五箇条の御誓文」は、役人向けに示されたものです。
新政府の基本方針を示しました。
3月14日、旧幕府征討の軍勢が江戸に向かいつつある最中に、新政府は京都御所の紫宸殿において、明治天皇自身が群臣をしたがえて天地の神々に誓約するというかたちをとって五箇条の誓文を発し、新しい政治の方針を天下に表明した。これは、政局の動揺をおさえ、公家・諸侯。諸藩士を新政府のもとに結集させるために出されたもので、公議輿論の尊重・開国進取・旧習の打破など新しい政治の基本方針を明らかにし、併せて、天皇が国の中心であるという政治理念を国内に示した。
「詳説日本史研究」p330
当時、私17歳です。
起草者は由利公正(越前藩)、修正者は福岡孝弟(土佐藩)、そして加筆して成文化したのが木戸孝允(=桂小五郎、長州藩)だ。
最初は、「列侯会議を興し」であったけど、大名・公家の政権にはしないために、「広く会議を興し」という文言を使ったのだ。
諸侯会議はもう不要なんだよ。
開国和親の方針は、神戸事件の後に諸外国に向けて発したものを国内にも示した感じだ。
【五箇条の御誓文】
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下心を一にして盛に経綸を行うべし
一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦(うま)ざらしめん事を要す
一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基くべし
一、智識を世界に求め大に皇基を振すべし
(本来はひらがなではなく、カタカナ)
神道を国教化したかたっから、前日に「神仏分離令」が出されました。
これにより平安時代から続いた神仏習合の伝統が禁止されたのです。
興福寺に至っては僧侶全員が神主に転職しています。
廃仏毀釈運動に反対した浄土真宗の島地黙雷(しまじもくらい)のおかげで踏みとどまりましたが、仏教は大きな被害を受けました。