こんにちは。
今回は1923年(大正12年)9月1日の「関東大震災」を紹介します。
ベースとなっているのは浮世博史先生の「もう一つ上の日本史」です。
関東地方に限定されているとはいえ、ある意味、大正時代最大の事件とも言えるのではないでしょうか。
なんせ死者は10万人以上。
これは日露戦争にも匹敵します。
(罹災者は340万人以上。)
それと、「震災デマ」で殺された人も数知れずいたことも忘れてはなりませんし、
どさくさにまぎれて無政府主義者の「大杉栄」が伊藤野枝とともに殺害されました。
さらに復興に予算をとられます。
【関東大震災】(1923.9.1)
死者10万人。
震災デマで殺害された人たちも多数。
無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝もどさくさに紛れて憲兵隊の甘粕正彦に殺害される。
復興に予算をとらざるを得なくなった。
(金解禁も遅れた。)
芥川龍之介は「自警団」に入った!
そうでもしないと間違えられて虐殺される恐れがあったからですよ。
「或自警団院の言葉」「侏儒の言葉」という作品はこの時の経験を元に書かれております。
黒澤明監督の父親も朝鮮人と間違えられて暴徒に囲まれました。
警察が自警団を戒めても効果は薄かったです。
新型コロナ時代の「自粛警察」なんて、武装していない分マシと思いますよ。
現代のコロナ禍において「自粛警察」なる人たちも登場しておりますが、当時の「自警団」に比べたらまだマシだと思います。
甘粕事件
震災のどさくさに紛れ、甘粕正彦陸軍大尉は憲兵隊を使い無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝を殺害しました。
「甘粕事件」ですね。
その後、甘粕は満州に渡り、「甘粕機関」と呼ばれる特務機関を設立。
さらには「満州経営の黒幕」と呼ばれるまでになります。
虐殺を恐れて多くの朝鮮人が帰国
虐殺されたのは朝鮮人だけではなく、中国人、日本人も間違えられて虐殺されました。
いずれにしても多くの朝鮮人が帰国しました。
ただ、復興が始まると労働力募集に応じて徐々に日本に来るようになりました。
12月には渡日数が帰国数を上回りました。
三一独立運動以後、文化政治に転換したのがここへ来て効を奏したかな。
事件後の「虎の門事件」
「虎ノ門事件」とは12月、無政府主義者の難波大助が虎ノ門で昭和天皇(当時皇太子)を暗殺しようとした事件ですね。
甘粕事件や、亀戸事件(労働運動家・平沢計七らが亀戸署に捕らえられ軍隊により虐殺)の反発があったようです。
この件で山本権兵衛内閣は総辞職しました。
山本権兵衛殿はどうも運が悪い。
もう少し中枢にいてくれる期間が長ければ歴史が変わっていたのかも知れない。