こんにちは。
今回ご紹介するのは、1930年の「昭和恐慌」です。

第1次世界大戦後は「恐慌」だらけ
「●●恐慌」ってネーミング、すごーく混同しやすいので注意して下さいね。
第1次世界大戦終戦の「戦後恐慌」以後、日本は慢性的な不況が続きます。
1920年 戦後恐慌
↓
1923年 震災恐慌
↓
1927年 金融恐慌
↓
1930年 昭和恐慌

とくに、1927年の金融恐慌と、1930年の昭和恐慌は間違えやすい。
いずれも高橋是清が解決したというのも混同しやすい原因。
でも、全然違うから!
「金融恐慌」と「昭和恐慌」は別物です。
金融恐慌 | 昭和恐慌 | |
---|---|---|
1927年 | 年 | 1930年 |
若槻禮次郎 | 首相 | 浜口雄幸 |
片岡直温蔵相の失言 →引き出し殺到 台湾銀行経営危機 →金融不安 | 原因 | 世界恐慌中の金解禁 (デフレと金流出) |
片岡蔵相の失言問題は日銀の非常貸し出しで10日間ほどで終息。 その後の金融不安は田中義一内閣で緊急的に大蔵大臣となった高橋是清が非常貸出、支払猶予例(モラトリアム)を施行させることで解消。 ※若槻内閣は枢密院が緊急勅令案を認めなかったことで自信をなくし総辞職。【コチラも】 | 解決 | 1931年12月、犬養内閣における高橋是清大蔵大臣により金輸出再禁止、管理通貨制度への移行。 円安に助けられて輸出が伸びたことと、積極財政により1933年には元の水準に戻る。 |

1930年。世界恐慌に浜口雄幸内閣の金解禁が重なり、大不況に。
次の次の犬養毅内閣で高橋是清蔵相が金輸出再禁止と管理通貨制度を導入して解決。



金本位制のメリット
★為替相場の影響が少ない。
(輸入超過に陥った場合でも金で支払うことができれば、相手通貨の需要が高まり為替が変動することが無い)
★自動調節作用がある。
(輸入増となって金が流出すると通貨縮小となり景気後退、物価下落→輸出超過、金の流入に転じる)

また、財閥系大銀行は金利の高い海外への投資を切望していました。
しかし、日本の状況は
★円安と、恐慌処理のための通貨膨張によるインフレ状態。
★国際競争力は低下して輸入超過に陥るという悪循環。

金本位制の歴史
★イギリス(1816年)、ドイツ(1871年)、スウェーデン、デンマーク(1876年)、アメリカ(1873年)が金本位制を採用。フランス、ベルギー、イタリア、スイス、ギリシャも1878年には金本位制に近い状態になった。日本も1878年に金本位制を採用。
★しかし、第1次世界大戦にともなう国際経済の混乱によって各国は先を争うように金本位制から離脱。金の流出を防ごうとした。日本は1917年、金本位制から離脱。
(戦時には金本位制の自動調節作用は機能しなかった。)
★1919年のアメリカを皮切りに各国が金本位制に復帰したのに対して、日本は躊躇した。当時、金保有高は過去最高となっていたが、戦後不況を脱却するための財政、金融政策を優先した。
★1920年の戦後恐慌で大量の通貨を流通させることで不況を乗り切ろうとしたが、それは金本位制への復帰を遅らせることにもつながった。
★その後も、1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌が続き、金本位制復帰へのタイミングを失っていた。
金解禁をめぐる2つの考え
★旧平価法・・・1897年に制定された「貨幣法」による交換レートでの金解禁。これだと、100円=約50ドル。(井上準之助らが実行)
★新平価法・・・実際の為替レートでの金解禁。これだと100円=40~45ドル。(石橋湛山らが主張)

新平価ですべきでしょう。

まずは走り出すべきでしょう。

井上準之助は旧平価での金解禁を選択し、国民には倹約を奨励しました。
世界恐慌から昭和恐慌へ
1930年1月11日が金解禁日でした。
しかし、1929年10月24日に世界恐慌がはじまってしまいました。

★アメリカは雇用、生産、投資いずれも急激に悪化。
★イギリスは金での支払いを求める外国人投資家が殺到。1931年9月21日、金本位制断念。
★日本は大量の金が国外に流出して不況のどん底に。(→昭和恐慌)
昭和恐慌
★昭和恐慌の原因は世界恐慌だけではありませんでした。すでに浜口内閣のデフレ政策によって個人消費などは冷え込んでいました。
★世界恐慌後は、生糸、綿織物の輸出が打撃を受けました。また、各国は自国経済保護のために関税引き上げを行なったため、日本製品は不利になりました。
★「大学は出たけれど」が流行語になったのはこの時期です。就職難および失業者も増加し、社会問題となりました。

★最も大きな影響を受けたのは農村です。養蚕業が打撃を受けたことに加え、米の収穫高が上がることが予測されたことで米価格が低下しました。欠食児童、身売りが社会問題になりました。

★右翼的な労働運動、右翼的な農民運動も広がりました。【コチラも】

★1930年1月、浜口雄幸内閣(井上準之助蔵相)において金解禁が行なわれる。
★世界恐慌の中で行なわれたことも重なり「昭和恐慌」と呼ばれる大不況が訪れた。
★1931年12月の犬養毅内閣(高橋是清蔵相)で金輸出再禁止、管理通貨制度移行を行い、恐慌から脱出。
浜口雄幸内閣の意義
①金解禁の断行、日本の慢性的な不況に正面から向き合う
②社会政策の推進
(身売りなどの社会問題が生じたが、不況に対して手を差し伸べなかったわけではない)
③ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、海軍、枢密院に対して引かず
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