~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【統帥権干犯問題を言い出したのは誰だ?】『§4.ロンドン海軍軍縮条約と宮中・政党・海軍』(畑野勇先生)

昭和史講義
『§4.ロンドン海軍軍縮条約と宮中・政党・海軍』(畑野勇先生)

【これまでの教科書的理解】

「ロンドン海軍軍縮条約」…「1930年。世界的な軍縮の流れに対して海軍は統帥権干犯問題を持ち出して対抗。浜口雄幸内閣。」

【まとめ】

★はじめは海軍軍縮問題であったのだが、野党政友会が倒閣の手段として「統帥権干犯問題」を持ち出して政府を攻撃しだした

海軍が主張した「対米7割」にはさしたる根拠が無い。

★浜口内閣の条約締結は評価できるが、政友会、海軍、陸軍桜会など反対派が結集してしまったことがのちに問題となった。

【略年表】

1929.7 浜口民政党内閣誕生。
1930.3 ロンドン海軍軍縮会議。若槻禮次郎を首席全権、財部彪海相を全権として派遣。

「松平・リード案」として、日本の対米比率が補助艦69.75%、大型巡洋艦60.23%。海軍は対米7割を原則としていたため、加藤寛治軍令部長、末次信正次長らは反対を表明。

軍令部と政府の意見が異なることで昭和天皇が一方の側に立つことを憂慮して上奏は中止。

一方、山梨勝之進、堀悌吉ら条約派は国家大局上、軍縮はやむなしと考えていた。

この時点では東郷平八郎元帥も伏見宮博恭王も政府に従うべきとしていた。

対米7割にさしたる根拠は無い
1930.4 ロンドン海軍軍縮条約は締結されたが、野党政友会が倒閣の手段として「統帥権干犯」を唱え、政府を追及する。この動きに加藤寛治軍令部長は態度を急変、東郷平八郎も伏見宮も条約破棄を主張しだす

★しかし、兵力量の決定に関しては内閣の輔弼事項とされていた。

★加藤軍令部長の背後には末次信正、その背後には枢密院の平沼騏一郎がいたという西園寺秘書の原田熊雄の談話もある。

当時の政友会最大会派は鈴木喜三郎派であり、幹事長は平沼と関係が深い森恪

♨鈴木喜三郎に統帥権干犯を持ち出すような能力はなく、統帥権干犯問題を党の方針にしたのは森恪?

「統帥権干犯」という言葉は北一輝が編み出したとも。【コチラの方より

♨ちなみに当時の政友会総裁は犬養毅。
1930.6 加藤軍令部長は辞任。(なんで?)

のち、条約締結派の山梨、堀も更迭され、喧嘩両成敗となった。
1930.10 ロンドン海軍軍縮条約批准

★日露戦争で得た外債の借り換えの時期にあたっており、その借り換えの条件として英米の銀行団が軍縮条約の締結を望んでいたという側面もある。もちろん、井上の財政政策、幣原の外交政策いずれも英米との協調が不可欠であった。

★幣原がもうちょっと海軍と話をつけていたら不満は幾分か逸れたのではという意見も。

軍縮反対派(陸軍桜会、海軍青年将校ら)、政党政治打破を目指すグループ(軍部・枢密院)という強大な敵を生み出してしまった。 
1930.11 浜口首相は統帥権干犯に憤激した右翼青年に狙撃されて負傷。

幣原喜重郎が首相代理に。
1931.9 満州事変

板垣征四郎「満蒙をわが領土としたいがアメリカは干渉してくるであろう。しかし、今ならまだわが海軍の方が強い。開戦するなら早いほうが良い。」

【政友会総裁】

この7人くらいは覚えられるであろうか。鈴木以外の6人は全員総理大臣経験者。伊藤、原、高橋、犬養は暗殺されている。

伊藤博文1900-1903
西園寺公望1903-1913
原敬1914-1921
高橋是清1921-1925
田中義一1925-1929
犬養毅1929-1932
鈴木喜三郎1932-1937

以降、分裂。

原→(暗殺)→高橋→(引退/買収?)→田中というのは知っておかないと、訳わからなくなるので、これだけは覚えておこう。

【森恪】

写真はwikipediaより。

この人のことはあんまり知らなかったけど、結構重要人物だ。

以下、wikipediaより抜粋改編

【森恪】(1882-1932)

★「東洋のセシル・ローズ」を自認した帝国主義者。軍部と提携し、日本の中国侵出に大きな役割を果たした。

★日露戦争ではバルチック艦隊の航跡をいち早く発見、打電する。

★辛亥革命では孫文に資金の斡旋をする。

★父の縁故で三井物産に入社していたが、多額の献金とともに1918年政界へ転身(政友会)。当選2回目にして田中義一内閣における外務政務次官に(田中が外相を兼任したので事実上の外相)。

★対中強硬政策を敷き、山東出兵、東方会議を主導。満蒙分離も試み、張作霖爆殺事件への関与も疑われる。

★田中退陣後の1929年、政友会幹事長に。ロンドン軍縮会議の幣原喜重郎臨時首相へ統帥権干犯問題などを持ち出し、口撃を行う。

★犬養内閣では内閣書記官長となるが、軍部との関係を基盤に持つ森と、生粋の政治家である犬養は大陸政策をめぐってやがて対立。五一五事件で犬養の死を知ると会心の笑みを浮かべたという。

★しかし、同年、喘息に肺炎を合併し、死去。

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