~只今、全面改訂中~

こんにちは。

「日本史がダメな点」を列記しているのですが、特に相性が悪いと思うのが、「理系」の人。

公式が通じない・・・?

数学でも物理でも、「公式」と呼ばれるものはどの教科書でも同じです。

理系学生はそれを疑いません。

しかし、新井白石の「正徳の治」を「詳説日本史研究(山川出版社)」では絶賛している一方、東京法令出版の「日本史のライブラリー」では「儒教政治の限界」と書いております。

・・・どっちなんだ。

また、「田中義一」についても称賛する声もあれば避難する声もあったり・・・

(同じことは西郷隆盛についても言えますね)

立場や見方によって記述が変わるのは日本史という学問の性質上当然である、と大人になってみるとわかるのですが、

純粋な高校生がそういう割り切った判断ができるでしょうか。

特に、「正しい答えは1つ」であることが当たり前の理系学生がにとって、「答えがたくさんある」なんて、受け容れることができるでしょうか?

ですので、モロに「理系頭」の学生と日本史の相性ってきわめて悪いと思うんですよね・・・

現役時代、日本史選択の理系学生がセンター前に軽いパニック状態に陥っていたのを思い出しました。

「真実の●●」が真実とは限らないなんて・・・

さらに、一般書で勉強しようにも何が正しい本なのかすらわかりません。

「真実の●●」と書かれた本が実は「俗説」であったり・・・

みんな自説に対して「真実の●●」などと安易なタイトルをつけすぎ。
話は変わりますけど、百田尚樹先生も「日本国記」など仰々しいタイトルなどつけずに「百田の日本史」くらいにしておけば、こんなに文句が出なかったと思うのに。
でも、「日本国記」が「俗説の集大成」の役割を果たしてくれたおかげで、本書が完成しました。

大人になってみると、いろいろな「カラクリ」がわかるのですが、やはり純粋な高校生が「真実の●●」という本を買って読んで、それが王道と思い込まないかどうか・・・

やはり、モロに「理系頭」の人と日本史の相性は悪い、と思います。

→【7】

日本史は本によって書かれていることが全く違う。

何が定説で、何が奇説なのかすらもわからない。
(自説を紹介する人が「真実の~」と安易なタイトルをつけすぎ。)

ちゃんとした定理・公式を勉強している理系学生とはとことん相性が悪いだろう。
(逆に多種多様な考え方があったとしてもへっちゃらな人は日本史を選択しても大丈夫。)