~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

あまりにも難しい漢字を「書く」のはあきらめる

(その分、ほかのことを覚えることに費やす。)

…漢字はそこそこ自信があるって方、

「盟神探湯」って読めますか?

「太占」は?

「勘解由使」は?

「月代」は?

(※答えは順に「くかたち」、「ふとまに」、「かげゆし」、「さかやき」。)

また、戦後すぐの首相、「東久邇宮稔彦親王」とか書けます?

(※「二点しんにょう」じゃないと×になるのであろうか?など気にしだすと止まらない。)  

とにかく、日本史に出てくる「漢字」は難しい。

人名も「偏諱」の影響で同年代の人が将軍の名前を頂戴していたりする。

これが1人ならまだしも、複数人いるので非常に紛らわしい。

さらに、一族で同じ名前を使っている例も多い。

足利家、徳川家などはまだわかる。

でも、細川家、畠山家などは、誰がいつの時代なのか段々わからなくなる。(細川政元、って言われてどの時代かすぐにわかります?)

また、「源信」という名前が注釈抜きで出てくると、これが「往生要集」を書いた源信なのか、嵯峨天皇の息子の源信のことなのか、わかりません。

「読み」も現代の感覚とは異なります。

足利「直義」は「ただよし」だし、「平城京」は「へいじょうきょう」でも「平城天皇」は「へいぜいてんのう」なのです。

最初のうちは面白いと思っても、本当に「地獄」。

日本史はおろか、漢字までも嫌いになりそう、と思いました。

日本史の先生を改めて尊敬します。

【対策】・・・難読字は思い切って「書けなくても良い」と割り切る。

臣連伴造国造百八十部并公民等本記」 とか、やっぱり書けなくても良いですよね?

【追記】摂関政治の礎を築いた藤原良房の娘、清和天皇を産んだ「藤原明子」の読み方が「ふじわらの あきらけいこ」。日本史史上、最も難しい人名であるという説がある。(2019/10/3)

【追記】「だざいふ」は太宰府市にあるけど、「大宰府」。(2020/02/03)

→【5】