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☞【武田勝頼にもチャンスはあった?】『学校では教えてくれない戦国史の授業』(井沢元彦、2015年、PHP研究所)

近年、呉座勇一先生との「俗物論争」が話題となった井沢元彦先生の著作。

僕としては最初に日本史面白い、と日本史に興味を感じたのが井沢先生の「日本史集中講義」であり、逆にやっぱり学者はスゴイ!!と思ったのが呉座先生の「戦争の日本中世史」であったので、両者のいざこざは複雑な心境である。

しかし、今になって読書メモを読み返すと、井沢先生のこういうところが、学者にとって本気で困るところなんだろうな…ということがちょっとわかった。

その1つが、「本能寺の変」における「実は家康を暗殺するつもりだった説」。

【本能寺の変 427年目の真実】という本もよく売れたけど、学問を追究している人にとって、容易に「真実」とか、「実はこうだった!」とか書かれると本気で困るんじゃないかな…

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※「日本国記」も「百田尚樹の日本史」くらいにしておけば、何も問題はなかったのだ。

さて、家康暗殺計画論はさておき、本書で絶賛されるのはやっぱり信長。

信長のおかげで日本に宗教戦争がなくなった説

は頭に入れておいても良いか。

また、長篠の戦があまりに有名だが、武田勝頼は長篠の戦で死んだわけではない。

上杉・武田・北条連合となっていたら、また展開が違っていたのでは?

という論は、井沢先生オリジナルではないかも知れないが、興味深い。

まあ、読後感としては面白かった。

以下、読書メモ。

1.なぜ乱世ははじまったのか

6代将軍義教は、以下を通じて対抗勢力をつぶしていったものの、嘉吉の変で斬殺。

義教が長生きしていれば、ものすごく強い幕府になっていた可能性はある。

①永享の乱…足利持氏を挑発?し、関東管領上杉憲実との争いに介入。

②九州制圧…かつての敵・大内義弘の子である持世を家督承認して平定

③比叡山焼き討ち…1435年。正確には僧侶たちが自ら火をかけた。信長の136年前。

2.戦国大名たちへの誤解と真実

★戦国大名の戦いはすべて私戦。

天下を取ろうとしていたのは信長のみ

★斎藤義龍には「土岐頼芸の息子」説がある。道三が明智光秀の妹との間に産んだ子と、義龍の間の戦いで道三死亡。織田信長も義理の息子という関係で兵を送ったが多勢に無勢。明智光秀は浪人に。義龍は35歳という若さで死亡したため、信長は稲葉山城を落とすことができた。桶狭間から7年後のことである。

★一般の着物の材料は麻や苧(からむし)。木綿は最初は輸入だったが、徐々に国産、それも尾張、三河でとれた。越後の苧は木綿に代わられ、上杉謙信の経済力は低下、織田信長、徳川家康の経済力は伸びた。

★北条早雲…扇谷上杉家家臣の太田道灌と懇意になり、協力して今川家の家督争いに介入。のち、堀越公方・足利家の家督争いに乗じ足利家を滅ぼし伊豆を手にする。

3.武田信玄の天下取りの限界

★武田信玄は信長と異なり常備軍を作れなかったため、あと10年長生きしたとしてもおそらく天下を取ることはできなかったであろう。

★信玄堤を作るなど、領国経営はしっかりしていたが、強欲で諏訪頼重を殺害しておきながらその美しい娘を自分の側室に。その子が武田勝頼という皮肉。甲州金は勝頼の時代にはすでに使い尽くされていた。

4.なぜ、上杉謙信は「正義」を貫いたのか

1457年、新しく関東に出向いた方が堀越公方(それより先には進めなかった。)。前からいたのが古河公方。

1495年、堀越公方は北条早雲によって滅ぼされる

やがて古河公方は勢力が弱まり、上杉家が台頭。

しかし、その上杉家も弱体化してきて、1546年、北条氏康(北条早雲の孫)により領地をとられる。上杉憲政は1552年、越後に亡命

謙信は北条征討に乗り出し、これに感激した憲政が上杉姓と関東管領を譲った。

★関東管領になったことは、謙信にとっては誇りにもなったが、足枷ともなった。

他の戦国武将が自分の領地を拡げることを目指しているのに対して謙信は極めて特殊

これは彼が幼少期に寺に預けられて熱心に修行に励んだことと関係あるであろう。

5.信長の大いなる野望

★信長に足りないのは権威。よって、初期は足利義昭の権威を有効に利用した。しかし、両者は次第に反目。信長包囲網の黒幕は足利義昭であったであろう。信長はこれを「外交」で切り抜けたが、これは常備軍を組織できていた点が大きい。

【元亀年間の信長年表】

1570年
1月
将軍、義昭に事書を承認させる。
3月 近江常楽寺で相撲を興行する。
4月 義昭の新邸が完成。越前の朝倉氏を攻める。浅井長政が離反し、朽木谷を通って、京に戻る。(金ヶ崎の撤退)
5月 千種越えで岐阜に帰る。
6月 小谷城を攻める。姉川の戦い。
8月 岐阜を出陣、三好三人衆の野田・福島城を攻める。
9月 石山本願寺が挙兵。浅井・朝倉氏の挙兵を聞き、近江坂本へ下向する。
11月 伊勢長島の一向一揆、織田信興の尾張小木江城を攻略する。
12月 将軍・義昭の仲介で勅命により浅井・朝倉氏と講和する。岐阜に戻る。
1571年
5月
伊勢長島の一向一揆討伐のため出陣する。
6月 毛利元就、死去。
8月 小谷城に浅井氏を攻める。
9月 比叡山延暦寺を焼き討ちする。
1572年
1月
南近江の村から起請文を提出させる。
9月 義昭に17ヶ条の意見書を提出する。
12月 三方ヶ原の戦い。徳川・織田連合軍、武田軍に敗れる。
1573年
4月
武田信玄、死去。
7月 義昭、槇島状に挙兵する。信長、義昭を下し、追放する。事実上の室町幕府滅亡。
8月 越前の朝倉氏を攻め、滅ぼす。小谷城を攻め、浅井氏を滅ぼす。

★本願寺は、親鸞の開いた浄土真宗の本山。浄土真宗は法然の浄土宗を受け継いでいるが、より簡単。なんせ1回唱えればいいのだ。このシンプルさがウケて、加賀は本願寺王国になるほど。今の大坂城は元々、石山本願寺。(※その前は山科にあったが、日蓮宗に焼かれて石山に移転。)雑賀鉄砲衆も本願寺兵。ほか商人もいれば、豪族もいる。

ありとあらゆる層を取り込んでいた

通説では信長が一向宗に脅しをかけたようなことになっているが、そのような証拠は一切ない

本願寺顕如が信長と戦うために嘘をついて、宗徒を呼び寄せたと思われる。

★1576年の第1次木津川の戦いでは本願寺と組んだ毛利家・村上水軍の焙烙玉の前に織田軍・九鬼水軍がほぼ全滅。本願寺に兵粮を送り込ませてしまっている。

★1578年の第2次木津川の戦いでは、鉄甲船を駆使して織田軍・九鬼水軍の完勝。その2年後、1580年にようやく講和。

10年がかりであった。

★1575年には長篠の戦。鉄砲は傭兵中心の信長軍にフィット。まず、1年中使えるし、練習する時間もある。武田軍にも鉄砲隊はいたが、堺を押さえられているので容易に硝石を手に入れることができなかった。

ただ、これで武田勝頼が死んだわけではない。勝頼は戦こそ強かったが領国経営は下手であった。案の定、木曽義昌は信長に寝返る。ほか、武田本家につながる穴山梅雪も勝頼のことを良く思っておらず、謀略に参加。

そのようなことが重なり、勝頼は最終的に領民にも見放され、味方もいなくなった。

★しかし、武田勝頼もチャンスはあった。上杉家の家督争いに際して、親戚にあたる景虎の方を応援していたが、いつの間にか景勝側についた。これには「金、領土とともに家来になる」という約束があったという。おそらく、直江兼続のアイデアであろう。

かくして、北条・上杉・武田連合軍で織田と対抗という路線も潰えた

勝頼は偉大な父の幻影に負けた。

【御館の乱】…上杉謙信亡き後の景虎と景勝の争い。上杉景虎は北条氏康の七男であり、武田勝頼は義兄。しかし、勝頼は景勝側についた。1579年、景虎敗死。

第6章:信長は今なお誤解されている

★信長のイメージを誤解した典型としては、藤沢周平、佐高信。

1536年、「天文法華の乱」で比叡山の僧兵が法華宗の寺院21個を焼き、数千人が死亡している。

これは「松本問答」がきっかけで。この被害の規模は応仁の乱を上回るというので、その規模がわかるであろう。比叡山とはそういう人たちの集まりである。

★ちなみに、浄土真宗も法華宗に罵られていたので参加をもちかけられた。山科での件の報復も考えられたが、参加しなかった。

★信長のおかげで日本から宗教戦争がなくなった。

★安土城は今の霞が関ビルよりも高い。信長はここを神殿のように位置づけたかったのであろう。

第7章:「本能寺の変」の謎

~黒幕はいたのか、明智光秀の単独犯行か~

★秀吉がアルバイトとするなら、光秀はフリーター。フリーターの身分から常務クラスまで引き上げてあげたのに、謀反を起こす理由が難しい。「光秀いじめ」は、後世の作り話である可能性が高い。

★織田信忠がちゃんと逃げていれば、織田家はまだ安泰であった。秀吉黒幕説はあり得ない

★長曾我部ー明智光秀ー斎藤利光(光秀の家臣。娘が長曾我部に嫁ぐ)ライン説。

★斎藤利光の娘は春日局。

京都に来ていた徳川家康暗殺計画を光秀が助けるために行った?という説も考えられる

そして、家光は本当は家康の子ではないか。「二世権現」の直筆もそうであるが、「光」は光秀からとっているのではないか。あるいは、利「光」からか。

★信長の世界戦略がもしも成功していたら、それはそれでかつてのスペインのように人材が流出し、今の日本が日本ではなくなっていた可能性もある。本能寺の変が良かったのか悪かったのかの判断は難しい。

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