~只今、全面改訂中~

☞【銀と倭寇、世界史の中の日本史】『分裂から天下統一へ』(村井章介、2016年、岩波新書:シリーズ日本中世史④)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、なぜ、江戸時代は「お米」で納税?という疑問。

分裂から天下統一へ」を読んで、ようやくこの疑問が解決しました。

考察①:「江戸時代から」ではなく、「豊臣時代には」既に米納

そのための「太閤検地」じゃ。

考察②:明が「銀」経済圏となり、銅の価値が減った

そのため日本への流入も減少。

日本国内では私鋳銭が横行し権力者を悩ませた。

そのため、基準通貨として「米」が復活したというわけです。

世界史では張居正とともに「銀の一括納付」=「一条鞭法」として必ず習うんですよ。中国内の銀だけでは足りなかったので、日本銀や中南米の銀は重宝されます。

考察③:「マニラーアカプルコ」航路確立

明が銀経済圏となった背景には1571年、スペインが「マニラーアカプルコ(メキシコ)航路」を確立したことによります。

これにより太平洋を横断して中南米の銀が大量にChinaに流入しました

(日本銀とあわせると、さらに大量。)

航路そのものを発見したのは1565年。発見者にちなんで「ウルダネタ航路」と呼ぶ。

【まとめ】

かつて大元帝国は紙幣流通を促進した。
そのため余った銅(宋銭)が日本に流入した。
これにより、鎌倉時代には貨幣による納税が認められた(「代銭納」)。

貨幣での納税が進むかと思いきや、秀吉の時代には銅の価値が減少。私鋳銭も横行したことから「米納」に戻り、江戸幕府もそれを継承した。
江戸時代の「鎖国政策」には日本国内の金銀流出を制御する目的もあった。

銅の価値が減少した理由はマニラーアカプルコ航路によりスペイン銀が明に流入したことによる。
明は膨張する経済に銅では対応できず、銀を基準通貨としたのだ。

石高制」、「鎖国制」など、江戸時代の政策は国際環境なしに語ることはできない。

ちなみに、信長から家康の時代にかけて日本人1人あたりのGDPは中国を抜いたと言う。このことはもっと研究されて良いだろう、と。

おまけ

改めてこの時代を探ってみると、秀吉の果断さは群を抜いている。
大陸進出も全く躊躇がない。

結果を知っているから無謀に思えるかも知れないが、のちに大清帝国となった後金も、1616年の時点では兵力5万の辺境の一諸国に過ぎなかった。

秀吉の野望はヌルハチが果たした

朝鮮出兵の世界史的意義については良書を求めたい。

気候の違いが痛かったな。

世界史と日本史が融合するのは幕末が初めてではない。

この時代こそ、世界史の枠組みでもう1度考え直すべき。

「江戸時代は米納だから古い!だからダメなんだ」という言説をたまにみかけるが、こういった知識なしで吼えるのはバカげている。そういう「イタイ大人」が出版業界にも多いので困る。

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「寧波の乱(1523)」も公貿易が途絶えた原因として重要な出来事です。【コチラ

「ポルトガル人種子島来航(1542 or 43)」は、その20年後に起こりました。(意外と「近い」でしょ。)