こんにちは。
今回ご紹介しますのは、『知られざる江戸中期200年の秘密』(島崎晋、2017年、じっぴコンパクト出版)です。
江戸中期は、「三大文化」と「三大改革」だけ勉強して、「すっとばされる」時代と言われていますが、江戸中期は来たるべき明治に備えたかのような「熟成の時代」であったそうで、
この時期の試行錯誤が、明治以降の発展につながった、とのことです。
以下、ダイジェスト。
★江戸中期とは?
「4代将軍家綱」から「12代将軍家慶」までが「江戸中期」らしいです。
各時代のできごとを紹介します。
- ④家綱(1651-80)
由井正雪の乱(1651)、殉死の禁止(1663)シャクシャインの戦い(1669) - ⑤綱吉(1680-1709)
武家諸法度の大改訂(1683)、生類憐みの令(1687)、唐人屋敷建設(1689) - ⑥家宣(1709-12)
正徳の治…新井白石、間部詮房。生類憐みの令撤廃、通貨の改良など - ⑦家継(1713-16)
正徳新令(1715)。この頃、人口3000万人で頭打ち。
- ⑧吉宗(1716-45)
享保の改革。
- ⑨家重(1745-60)
宝暦治水事件(1755)薩摩藩による木曽川の工事。
- ⑩家治(1760-86)
田沼意次の活躍 - ⑪家斉(1787-1837)
田沼意次失脚を受け、松平定信による寛政の改革開始(~1793)。ラスクマン来航(1792)、レザノフ来航(1804)、フェートン号事件(1808)、異国船打払い例(1825)
- ⑫家慶(1837-53)
大塩平八郎の乱(1837)、蛮社の獄(1839)、水野忠邦による天保の改革(1841~43)
幕末に比べると、地味でしょうか…。
★なぜ「鎖国」を行った?
この間もずっと鎖国が行われておりました。
鎖国が行われていた理由とは、
- 政権の威信を守るため
- オランダの思惑
だそうです。
オランダはスペイン、ポルトガル、イギリスと日本の貿易の主導権争いをしておりましたが、
スペイン、ポルトガルはキリスト教とセットであることをアピールし、キリスト教に不信感を抱く幕府の信頼を得たことと、
イギリスがアンボイナ事件(1623年)以降、日本から撤退したことより、
日本の貿易を肩代わりする役割を担いました。
当時、幕府も貿易を行おうと考えていましたが、
老中酒井忠勝が「日本から東南アジアへ朱印船を派遣することは可能か?」とオランダに尋ねると、
「スペインとポルトガルが手を組み朱印船を襲撃するであろう」と答えたと言います。
幕府はリスクを回避するため、朱印船貿易を断念しました。
★外交の歴史
羅列してみます。
- 1669(4代家綱)シャクシャインの戦い(アイヌは松前藩に従属)
- 1689(5代綱吉)唐人屋敷の建設(台湾の鄭成功末裔降伏により、清は海禁令(1661)から展海令(1683)となり唐船増加)
- 1715(7代家継)正徳新令(オランダ船、唐船に入国制限および抜け荷の取り締まり強化)
- 1720(8代吉宗)唐船打払い例
- 1786(10代家治)はじめて幕臣を樺太に送る
- 1792(11代家斉)ラスクマン来航(ロシアは当時エカテリーナ2世)→長崎への入港許可証
- 1799(11代家斉)東蝦夷を直轄とする
- 1802(11代家斉)蝦夷奉行の設置
- 1804(11代家斉)レザノフ来航(ロシアはアレクサンドル1世)→半年待たせて国書受け取り拒否
- 1806(11代家斉)レザノフ家来のフヴォストフによる樺太択捉襲撃
- 1807(11代家斉)蝦夷全域を直轄に
- 1808(11代家斉)間宮林蔵樺太探検
- 1808(11代家斉)フェートン号事件(オランダの国旗を掲げたイギリス船による略奪。当時、ナポレオン戦争中)
- 1811(11代家斉)ロシア船出没、ゴロウニン以下8人捕縛。互いの拘束者を交換。
- 1825(11代家斉)異国船打払い例
- 1837(11代家斉)アメリカのモリソン号が浦賀と鹿児島で砲撃を受ける 【コチラも】
- 1840(12代家慶)アヘン戦争
- 1842(12代家慶)天保薪水給与令
★時代の変化を受ける武士
この時代、戦争がなくなったために、武士たちは自分たちの存在意義の示し方がわからず、生きにくい時代となりました。
また、家光死亡時に殉死が相次いだことから、忠義の対象も「主君」から「御家」に変化していました(1663殉死の禁止)。
陽明学者の熊沢蕃山は、「武士を都会の消費生活から解放して領地で武士本来の姿に」と訴え、1687に禁錮されております。
だからこそ「赤穂事件」(1702)は脚光を浴びました。
★経済の失敗
経済の中心は米から金銭になっていきましたが、
なお「重農主義」を続けたため、「給与は増えないのに物価が上がる」という状態になり困窮しました。
★農民の生活
職業選択、移動の自由が(あまり)なかったために、それぞれの地域社会でうまくやっていくほかはありませんでした。
収入を増やす手段も夜間か農閑期に内職するしかなかったので、日本人は「必要に迫られて」働き者になったのではないか??とも言われております。
また、この時期、地球規模で平均気温低下と火山の噴火があり、飢饉→一揆が頻発しました。
天保の飢饉(1833~)は大塩平八郎の乱(1837)の引き金になります。
★諸藩の改革
成功した諸藩に共通するのは、土地改革や特産品の徹底管理、従来の家格、門閥にとらわれない人材の抜擢でした。
以上、ざっとお送りしましたが、一日で読めてしまうのが、良いところです!
ぜひご一読を!
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