~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【徳川将軍×暗記法7】『TOKUGAWA15』(堀口茉純、2011年、草思社)より【家定・家茂・慶喜編】

「いつからが幕末か?」という話には諸説ある。

→【1840年、家慶時代の三方領地替えの幕命撤回からが幕末?

将軍で分けるならば、12代家慶までを「江戸中期」、ペリー来航時の13代家定からを「幕末」とするものが多い。

→【江戸中期本はコチラ
→【幕末勉強法はコチラ

在任年数は家定5年、家茂は8年、慶喜は2年と短命政権だが、実に濃密な15年間である。

将軍だけを勉強しても何にもならないが、それぞれの人物像は押さえたい。

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感想(10件)

13代:家定…暗愚(時々正論)将軍

1824 家慶の4男として誕生。成人したのは彼だけ。生まれつき言語障害があった。「癇癪公方」とも呼ばれる。料理好き
1827 世子決定。4歳。
1828 シーボルト事件
1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱、生田万の乱。
モリソン号事件
父・家慶、将軍へ。
1839 蛮社の獄。水野忠邦、老中首座へ。
1840 三方領地替え。(→幕命撤回)
アヘン戦争
1841 祖父・家斉死亡。『天保の改革』はじまる。将軍継嗣として西の丸に移る。鷹司政煕の娘・任子と結婚。18歳。
1842 天保の薪水給与令
1843 人返しの法。上知令。日光社参(※赤字)。水野忠邦失脚
土井利位が老中首座、阿部正弘(25歳)、老中へ。
1844 水戸藩・徳川斉昭に隠居命令。
水野忠邦、再び老中首座へ。土井利位罷免。
オランダ国王の開国勧告受理
1845 水野忠邦、体調不良で辞職。阿部正弘、老中首座へ
1846 米使ビットル浦賀に来航、通商要求。
1848 任子死亡。25歳。
1849 一条家より秀子と再婚
1850 秀子死亡。
1852 西の丸炎上。阿部正弘が再建工事総括。
1853 ペリー浦賀来航、父・家慶死亡、将軍就任(30歳)
阿部正弘、過激な攘夷思想で謹慎させられていた徳川斉昭を海防参与に。
露使プチャーチン長崎来航
1854 ペリー再来日、日米和親条約締結(その後、各国と和親条約締結)
1856 島津斉彬養女⇒近衛家養女、敬子(篤姫)と再々婚。33歳。
(※一橋慶喜を養子にもらうような画策があったが、思いのほか夫婦仲が良好で、養子の話が出にくく。出たとしても正論で押し切られる。)
1857 阿部正弘(一橋派)39歳で病死。一橋派と南紀派の争い激化。
1858 井伊直弼(44歳)大老に。将軍世子は慶福に
脚気衝心で家定死亡。35歳。
日米修好通商条約締結。(その後、各国と修好通商条約締結)
安政の大獄

【まとめ】
「ペリー来航」時に父が病死して30歳で将軍就任したのが家定。国政は阿部正弘が取り仕切ったが、阿部は過労で39歳の若さで1857年、死亡した。

「将軍継嗣問題」があり、一橋派と南紀派が争った。1858年、南紀派の井伊直弼が大老に就任したことを契機に、慶福(のちの家茂)が世子に決定した。一方、井伊直弼により安政の大獄も起き、その後の動乱を生む。家定は1858年、35歳の若さで死亡。

14代:家茂…スイーツ将軍

1846 紀伊藩11代藩主・斉順の次男、家斉の孫として赤坂の紀伊藩邸で産まれる。父、叔父(養父)が相次ぎなくなる。
1849 紀伊藩13代藩主へ。4歳
1853 ペリー浦賀来航プチャーチン長崎来航。紀伊藩の芸術、軍学の秘事禁止を解く。
1854 ペリー再来日。日米和親条約締結。藩政についての意見求める。
1858 井伊直弼(南紀派)大老に。家定死亡。慶福⇒家茂と改め将軍へ
13歳日米修好通商条約締結安政の大獄
1859 金貨海外流出⇒物価高騰。本丸全焼、翌年再建。
1860 日米修好通商条約の条約本書批准のため外国奉行・新見正興ら渡米。勝海舟ら咸臨丸で護衛。桜田門外の変。老中・安藤信正(南紀派)、和宮降嫁を奏上、勅許を取り付ける。
1861 和宮降嫁。遣欧使節派遣。
1862 坂下門外の変
(⇒将軍後見職に慶喜、政治総裁職に春嶽となり、一橋派に)
和宮と結婚。17歳。
生麦事件。浜御殿で慶喜らを接待。夫婦で麻疹に。英公使館焼打ち事件。
1863 上洛(陸路で京都へ、帰りは海路)。
下関事件薩英戦争八月十八日の政変、本丸、西の丸、二の丸全焼。(本丸は再建されず。)
1864 再上洛(往復海路。このとき、イギリスから購入した蒸気船を使用。指揮をとったのは勝海舟。海舟とは厚い信頼関係で結ばれていた。)19歳。

池田屋事件、禁門の変、第1次長州征伐の勅命を受ける、四国艦隊下関砲撃事件
1865 第1次長州征討のため上洛。辞表提出するも慶喜に説得される。20歳。
1866 薩長連合成立。
改税約書
第2次長州征討
大坂城にて脚気衝心で死亡。21歳。

【まとめ】
★1858年、将軍継嗣問題を経て13歳の若さで将軍就任。しかし、「安政の大獄」、「桜田門外の変(1860年)」、「坂下門外の変(1862年)」、「八月十八日の政変(1863年)」、「第1次幕長戦争(1865年)」、「第2次幕長戦争(1866年)」と、まさに激動の時代を生きる。

★13代家定が料理好きならば、14代家茂は「スイーツ好き」。死んだときは虫歯だらけだったという。しかも、それが21歳の若さである。お互いに慕っていた勝海舟は嘆き悲しんだ。

アニメ「銀魂」に家茂をモチーフにした「茂々」という人物が登場するけど、これがかなり家茂のイメージに近い。

銀魂、って半分以上おちゃらけているけど、実に良くできたアニメだと思う。シーズン6の将軍暗殺編が特にオススメ。【コチラも

15代:慶喜…インテリ将軍

1837 水戸藩主・徳川斉昭の7男として江戸水戸藩邸にて誕生(兄弟多数。)。江戸では軟弱に育つとして水戸で育てられる。水戸学派。大塩平八郎の乱、モリソン号事件。
1839 蛮社の獄
1840 三方領地替え、アヘン戦争
1842 天保の薪水給与令
1844 父・斉昭、幕命により隠居。長兄、水戸藩主に。
1847 一橋家を相続。11歳。
1853 ペリー浦賀に来航。
1854 ペリー再来日、日米和親条約。
1855 結婚。19歳。
1857 将軍継嗣問題激化。
1858 井伊直弼大老就任、日米修好通商条約、慶喜登城停止、家茂将軍に、安政の大獄
1859 隠居・慎を命じられる。23歳。
1860 桜田門外の変、父・斉昭死亡、慶喜、慎免除。24歳。
1862 坂下門外の変、登城停止解除、一橋家再相続、生麦事件、将軍後見職に就任、英公使館焼打ち事件、将軍の先発として上洛。26歳。
1863 参内して天皇に拝謁。下関事件、薩英戦争、八月十八日の政変、再上洛し、朝議参与に。
1864 後見邸会議解体将軍後見職辞職。禁裏御守衛総督・摂海防禦の任に就く。28歳。 (※横浜鎖港問題で島津久光らと意見が対立。朝廷からは信頼を得る。)
1865 神戸開港問題で意見が対立した老中・阿部正外と松前崇弘を勅旨により罷免させる。家茂は将軍辞退を提出する異例の事態となる。29歳。
1866 薩長連合。改税約書。第2次長州征討。家茂死亡。将軍就任孝明天皇崩御
1867 「ええじゃないか」、 大政奉還王政復古の大号令 小御所会議
1868 鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、江戸城無血開城。

【まとめ】
★14代の将軍候補であったのだが、血筋は家茂の方が近かったため、父が大奥などに嫌われていたこと、南紀派の井伊直弼が大老に就任したことなどにより14代将軍になれなかった。

★「ちょっと、嫌な奴」というイメージがなかなか消えない。有能であったのかも知れないが、ブレーンの「原市之進」の存在や、小栗忠順の存在があってこそ。本当に有能であったのであれば、わざわざ島津久光を罵って公議制を壊したりしないだろうが…。

銀魂でも結構やな奴として描かれる。

戊辰戦争で戦地から逃げたことについては諸説あるけど、慶喜の母が宮家であったと考えると非常に納得がいく。【コチラも

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