~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【1651年、黒幕は誰だ!?】『変と乱の日本史』(河合敦、2017年、知恵の森文庫)第11章:慶安の変より

★1651年、家光死去、家綱就任。当時、取り潰されて浪人となったものが50万人いた。軍学者の由比小雪は彼らを煽動して幕府を転覆しようとした。(由比正雪は逮捕前に自害)

★しかし、この事件の黒幕として紀州徳川藩の徳川頼宣が怪しい。(証拠は見つからなかったが、その後、江戸に在住させて家綱を補佐させる)

★この事件を契機に幕府はそれまでの武断政治を改め文治政治を目指すこととなった。浪人だらけでは治安も危ういのである。

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やはり、チョイスが素晴らしいと思うし、わかりやすいし、キレがある。河合敦先生の『変と乱の日本史』。

以下、読書メモ。

★家光が48歳で死亡、家綱就任の年(1651年)のことである。

当時、数々の取り潰しにより浪人は50万人ほどいた

★この浪人たちに由比正雪が呼びかけ、全国的な争乱を誘発させようと企んだ事件として知られるのがコレ。

※それにしても、密告者があまりに多い。

【徳川頼宣】…1602年~1671年。徳川家康10男。幼少から将来を嘱望されるほどで、「南龍公」と呼ばれる。

※頼宣は秀忠の時代に、駿河から紀伊へ転封
※駿河は秀忠次男の忠長(デキスギ国松)へ。

★頼宣は浪人を集め出す。幕閣は警戒。

★由比正雪は生け捕りされる前に自害。ただ、遺品からは頼宣が関わっているという数々の証拠が。

★尋問にあう徳川頼宣、幕閣を前に

「さてさて、めでたいことだ。もはや心配はいらない。これが外様大名なら疑いも出るであろうが、こと、徳川一族の偽の判物なら、その心配はない。これで徳川は安泰だ。」

これに一同は気勢をそがれた。判物は確かに偽モノと証明。すでに犯人も捕らえたと。「それでも疑うのであれば紀伊一国を返す」と。さすが南龍公、と呼ばれるゆえんか?幕府は「家綱の面倒を見てもらうこと」などを理由に9年間、江戸へとどめる。

家光の時代に御三家は完全に「家臣扱い」となった。徳川将軍家の守護神を自認していた頼宣にとってはそれに不満もあったのか?

★ただ、この件により、武断政治から文治政治へと方針転換。浪人をあまり出さないように、末期養子の禁緩和などの政策もとられるようになった。