~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【江戸時代に台湾占領が起きたかも知れない?】『バテレンの世紀』(渡辺京二、2017年、新潮社)

バテレンの世紀』第22章、23章より。および、家康死亡~秀忠死亡までの略年表。

平戸のオランダ商館は軍事拠点として使用されていたが、幕府より武器輸出が禁じられた。

そのため、オランダは平戸に代わる基地を探して台湾へ向かう。

台湾では中国船との取引が増えたことで、オランダは「海賊」から「商人」へ変貌した。

台湾においては日本船とも軋轢が生まれるも、幕府は海外の紛争に不介入を貫いた。海外で武力を用いなければいけないような状況を極力避けた。

海賊から商人へ

オランダと言うと、江戸時代の日本にとっての友好国というイメージが強くあると思います。

しかし、それは一面的な見方に過ぎません。

たしかに国内においては、幕府に臣従の姿勢を見せていました。

しかし、海外に置いては日本と軋轢がなかったわけではありません。

その1つが台湾での利権をめぐる争いです。

ゼーランディア城(旅行時に撮影)

台湾にて

そもそもの発端は、幕府が外国船に対して、武器を輸出することと、日本人を海外へ送り出すことを禁止したことに始まります。

オランダは平戸商館を「軍事拠点」として活用し、ポルトガル船、スペイン船、ひいてはイギリス船とも戦っておりました。

それが禁止されてしまうとなると、新たな拠点を探さなければなりません。

まず最初にポルトガル領マカオを攻撃しました。

しかし、この時はポルトガルの勝利に終わります。

続いて、澎湖島を狙います。

しかし、今度は明からのクレームがあり、諦めました。

そうして選ばれたのが台湾です。

台湾を征服し、ゼーランディア城を築きました。(地元では『安平古堡』と呼ばれます。)

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オランダが統治していたところを鄭成功が駆逐したことで知られます。鄭成功の母親、田川マツさんは日本人。

彼らをモデルにして創作されたのが、近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」です。

もっとも史実は大きく異なり、1683年に清に降伏します。

清政権となり展海令が出されると、一転、日中の貿易増加が起こるのですが、それはまた別の項で。

台湾を征服したことで、オランダは、対岸の中国との取引が増えます。

そして、「海賊」から「商人」へと脱皮します。

しかし、台湾で朱印船貿易家、長崎奉行の末次平蔵とのトラブルがあります。

こっちにも言い分があってな。

鄭成功の父親の鄭芝龍はコントロールできないんだ。

タイオワン事件の顛末

タイオワン事件で浜田弥兵衛はノイツを人質にとった。
その後、末次平蔵は台湾占拠を訴える。
しかし、幕府は秀忠の病気などで決定力不足であった。
その間、末次平蔵死去。(彼に投資していた幕府上層部による暗殺説もある。)
これにて風向きが変わって友好ムードに。

【末次平蔵】

1546年生まれ。

朱印船貿易に従事していた。

1616年に姻戚にあたる長崎代官・村山等安を訴える。(※イエズス会系とスペイン系の代理戦争でもある。)

1618年、に長崎代官に就任。

キリシタンでもあったが、禁教令時代は弾圧に協力した。

タイオワン事件を起こし、日本ーオランダ間の貿易は一時期途絶える。

台湾占領を主張していたが、1630年、死去。

これにより貿易は再開となるが、末次の背後には幕閣が数名いて利害を共有していたことなどから、口減らしに暗殺された可能性が唱えられている、

タイオワン事件(1628年)当時、幕府は秀忠の病気などで、最終決裁が遅れた。

しかし、それ以上に、海外の紛争に巻き込まれることを忌避したのであろう。

台湾占領を最も主張していた末次平蔵が死去(暗殺説もあり)したことで、オランダと一戦交えて台湾を領有するという計画は消滅した。

【タイオワン事件】

【年】・・・1628年。
【場所】・・・台湾。

【人物】
(日本側)・・・長崎代官、朱印船貿易家:末次平蔵、末次船乗組員:浜田弥兵衛ら。
(オランダ側)台湾行政長官:ノイツら。

【原因】・・・日本の朱印船貿易をノイツが妨害したことによる

【経過】・・・日本人乗組員がノイツにより捕縛されるが、浜田弥兵衛が乗り込み、逆にノイツを人質にとる(マンガみたい・・・)。その後、双方、長崎へ向かい幕府の決定を仰ぐが、幕府は秀忠の病などでそれどころではなかった。末次は台湾占領を訴え、日蘭貿易も途絶えた。しかし、強硬派であった末次の死(1630年)で風向きが変わり、日蘭は和解に向かい、貿易再開となる。オランダはノイツの非を認め、ノイツを日本に送った。ノイツは1932年から1936年まで比較的自由な「軟禁」状態を過ごす。

【その後の台湾】・・・1662年までオランダが支配するが、鄭成功が清に対抗するための拠点としてオランダを駆逐する。

 

家康死亡~秀忠死亡まで

1616秀忠、改めてキリシタン禁制を諸大名に通達
末次平蔵が長崎代官村山等安を江戸で告発
※家康没
※貿易制限令(平戸、長崎に限定。京阪は禁止。)
1618末次平蔵、長崎代官就任
※日本とスペインの関係は断絶
1619京都大殉教
※英蘭が防御同盟を結ぶ。
1620支倉常長、帰国。
平山常陳事件
1622元和の大殉教(宣教師ら長崎西坂で処刑)
※オランダ艦隊、マカオ攻略を試みるが失敗。澎湖島を占拠に切り替えるが、中国当局の抗議を受けて、1624年、台湾へ。
※英蘭防御同盟解体。
1623江戸大殉教
イギリス平戸商館閉鎖
※家光将軍に。
アンボイナ事件
1624スペイン船来航禁止
密航したソテロ処刑
オランダ、タイオワンに商館開設
※カルヴァーリョ処刑
1625松倉重政、取り締まりの手ぬるさを家光に叱責される。
1628タイオワン事件(末次平蔵および浜田弥兵衛とノイツの争い)
1629竹中重義、長崎奉行に。(最も残酷な迫害者と言われる。)
1630山田長政、シャムで毒殺
末次平蔵、幽閉、斬殺。(口減らし?)
1632タイオワン商館長ノイツ、日本に送致(1632年~1636年まで抑留)
秀忠死去。家光の親政が始まる。

コチラ:徳川将軍暗記法1も