~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【朱印船、日本人町、山田長政】『バテレンの世紀』(渡辺京二、2017年、新潮社)

バテレンの世紀』18章より。

1601年から家康は朱印船貿易を開始した。
これまで外国船に頼っていた生糸と絹織物を朱印船で運ぼうとしたからである。
結果的に朱印船貿易は他国船を圧倒した
江戸時代から鎖国に至るまで海外へ出た日本人は総数10万人ほど。
定住したのは7000~10000人。
各地で形成された日本人町は朱印船貿易を有利に進めた。

朱印船南へ

1601年、家康は朱印船貿易開始しました(~1635)。

すでに、フィリピンへは1570年代から渡航が始まっていました。コーチシナには1577年に日本船が現れた記録があります。カンボジアにも1590年代に日本船が現れた記録があります。シャムにも1590年代に現れた記録があります。

1570年代っていうと、信長がまだ浅井朝倉とかと戦っていた時ですからね。

また、1597年には日本船で船員の日本人と乗客のポルトガル商人がケンカしたという伝えもあります。

今ではそんなことはありませんが、当時は日本人が海外で暴れた記録が実に多い!

最初に「朱印状」(海賊でないことの証明)を発行したのは秀吉でした。

なぜ、渡航に向かったかと言うと、国内が安定し、それまで外国船による輸入に頼っていた生糸と絹織物を自国船で運ぼうとする余裕ができたことが理由の1つと考えられます。

世界有数の銀産国だったおかげで、資金は豊富にありました。

家康は、1599~1607年の間に、フィリピン、シャムなどの国王に「朱印状を持った船だけ相手にして欲しい」という書簡を書いて送っていました。

この効果は絶大で、オランダ、イギリスのような海賊商船も朱印船には手を出しませんでした。

江戸幕府は最初から閉じた国家ではなかったことは、さまざまな本が出版されているけど、面白いテーマだと思う。
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当初の日本船は非常に危なっかしいものでしたが、徐々に改良されました。

そして、結果として朱印船は各地で優位を確保するのです。

優位を確保できた理由の1つは、各地に「日本人町」が形成したことが挙げられます。

現地の日本人が朱印船を優先したのです。

日本人の器用さも見逃せない。

鹿皮の扱いなどシャム人には無理だったけど、日本人はできちゃうのです。

結果、江戸時代初期から鎖国に至るまで海外へ出た日本人の延べ人数は、総数10万人(!)と言われています。

定住したのは7000人から10000人ではないか、と推測されます。

シャムの日本人町は有名でしょう。

これらもあって、1604年から1639年までの輸入額は、朱印船によるものが1位で、ポルトガル船、中国船、オランダ船を上回ります。

山田長政は有名じゃな。

あと、朱印船が秀吉公の時代からと言う説があるが、現在のところ、秀吉公の朱印状は見つかっていない。
【山田長政】

1590年頃、静岡県に生まれる。
1612年、長崎から朱印船に乗り、台湾を経て、シャムへ向かう。
現地で日本人傭兵として活躍。(日本人傭兵は200-300人はいた)
日本人町の頭目でもある。(つまり貿易にも従事。)
王位継承戦争で新王を即位させたが、権力強化をたくらむ新王側近により毒殺された。
1630年、死亡。

コチラも:超日本史