★海軍の技術将校であった盛田昭夫、井深大によりSONYは誕生。松下電器も海軍の受注を受けることでステップアップした。
★陸軍がロシア、海軍がアメリカ、とそれぞれ仮想敵国が異なること自体、国としての統一性がとれていない。
★陸軍が奇兵隊を原点としているのに対して、海軍は薩摩の郷中制度を原点としている。
★同一性の強さは日本人の長所ではあるが、一歩間違えると組織そのものを滅亡させかねない。
『§2-6.戦艦大和とゼロ戦』~ソニー・松下への遺産~
戦艦大和については【コチラ:戦艦大和は無用の長物ではない】も。
零戦については【コチラ】。
★大和がすごいのは確かだが、大砲は遠くから撃てば撃つほど当たらない。
★日露戦争時は鈴木貫太郎(14期)のように近くまで突撃して撃って成果を挙げた部隊もいたが、ジャワ沖海戦では1000発撃って数発しか当たらない状況。むしろアメリカ軍の方が目の前まで来て撃っている。
♨鈴木貫太郎というと、終戦時の首相と言うイメージが強いが、海軍大将である。
♨父親が1月18日生まれなので目に留まることが多いが、1月18日生まれは鈴木貫太郎(1868年)、石原莞爾(1889年)に加え、小椋佳(1944年)、ビートたけし(1947年)など、なかなかすごい。
★日本は職人技で兵器を作っていたのに対して、アメリカは量産システム。これでは勝てないと、のちにキャノンで量産システムを作った川口宏(戦時中は技術士官)さんは思った。
♨日本人の宿痾?
★海軍の技術将校だった盛田昭夫、井深大らによりソニーが生まれた。
写真はwikipediaより。井深大。
♨トランジスタラジオ製作は、「世界最速」を目指していたが、それが叶わなかったとき、「世界最良」に目標を切り替えたのはすばらしい発想の転換と思う。
★松下電器も海軍の受注を受けたことで職人芸的な技術に大量生産化を実現できた。これらは戦後の日本にとって貴重な財産。
松下電器略歴(終戦まで)
1894 | 松下幸之助出生。 |
1917 | 電球用ソケットの販売開始 |
1927 | 自転車用角型ランプ販売開始 |
1931 | ラジオの生産開始 |
1936 | 白熱電球製造開始 |
1938 | 軍需品受注開始 |
1945 | 敗戦により在外資産をほぼすべて失う。 |
1946 | 洗濯機などの製造開始 |
【§2-7.敵は米国よりも陸軍】~貴族主義とムラの原理~
★陸海軍の統一した戦争指導がなされなかったことが問題。海軍はアメリカ、陸軍はソ連、と二大強国を仮想敵国にすること自体が無謀。
♨たしかに!
★明治初期は海軍の整備が優先されたが、西南戦争、その後の大陸進出を機に明らかに陸軍優位に。この陸軍にいつ呑み込まれるかわからないという不安と恐怖が常につきまとった。
★山本権兵衛【こちらも】は海軍を陸軍と同等の立場までもっていったが、首相になるやシーメンス事件ですぐ失脚してしまったことが海軍にとって痛手。以後、山縣有朋に対抗できる存在はいなくなってしまった。
★太平洋戦争末期にも陸海軍統合の動きがあったが、これは米内と井上が阻止。もし実現していれば終戦は遅れた可能性。
★大人数と膨大な量の資料の会議に臨んだ陸軍に対して、すべての面で劣ったため、調整会議などでは太刀打ちできず。(一方、陸軍から見ると、半分以下の規模の海軍が陸軍と同等の予算をとることに不満。)
★餓死した陸軍兵は70万人規模と多いが、海軍は餓死者がほとんどいない。硫黄島の戦いでも海軍兵は食糧豊富であった。一方、栗林忠道率いる陸軍兵の方は栄養失調気味。
★徴兵制に基づき必然的に民主主義的な性格をもつこととなった陸軍に対し、海軍は階級制に基づく貴族的な文化が根底にあった。陸軍が奇兵隊を原点としているのに対し、海軍が薩摩の郷中制度を原点としていることの違いでもある。
★序列意識の強かった海軍は仲良しクラブ的なところから抜けることができなかった。人事も問題。目が外を向いていない。
★結局、エリート集団を作ったところで、ムラの既得権益を守る集団となる。同一性の強さは日本人の長所でもあるが、一歩間違えると組織そのものを滅亡させてしまう。