~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表㉒:1867年11月】『世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「幕末年表㉒:1867年11月」です。

大政奉還をされたことで、武力倒幕派たちは追い詰められていました。

それでも、薩摩藩、長州藩は兵を率いて京都に進入します。

また、坂本龍馬、中岡慎太郎は何者かによって暗殺されました。

1867年(慶応3年)11月

11/1 薩摩藩主・島津茂久(もちひさ)、卒兵入京を家老に伝える
11/7 家老から家中に茂久の卒兵入京が伝えられる
11/13 茂久、鹿児島を出発(※1)

※薩摩藩に下った討幕の密勅により藩論がなんとかまとまる。
小松は歩行困難で行けず
11/15 近江屋事件 (※2)

坂本龍馬、中岡慎太郎殺害される
11/18 薩長芸、武力倒幕のための出兵協定締結

茂久、山口で長州藩世子毛利広封と対面。
11/25 薩摩藩兵、京都に入る

※兵3000くらい
11/28 長州藩兵、摂津西宮に入る

※兵700くらい

(※1)薩長、卒兵入京

小松帯刀
表向きは、慶喜殿に呼び出されたのと、国難に役立つため、なんですが、討幕の密勅のおかげで薩摩藩の藩論がなんとかまとまりました。

西郷や大久保は身分が低いもので、私のような立場の人間が必要なんでしょうが、私は足が痛くてとても京都には行けません…

(※2)近江屋事件

犯人は誰なんだ!

って、いまだに語り継がれますね。

武力倒幕に反対の立場だったから薩摩藩にやられた、なんて話もありますねー。
今井信郎
先の寺田屋事件の続きで、京都見廻組によるもの、という説もありますねー。

坂本どのも中岡どのも剣はたつ方でしたが、私に比べてしまうとやっぱり、なんですよねー。

あ、私、今井信郎(のぶお)と言います。

銀魂では今井信女(のぶめ)でしょうかね。

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実行犯はやはり京都見廻り組「今井信郎」と思う。

秘技「片手打ち」は面をかぶった相手の頭蓋骨を割って死なせるほどの威力がある。ほんの2,3分の間に龍馬、中岡を殺めることができるのは彼しかいない。今井は近藤勇がなれなかった講武所師範代に若干21歳で就任。

ただ、誰が見廻組トップの佐々木只三郎に龍馬を居場所を教えたかが問題だ。

筆者はやはり「薩摩藩」説をとる。京都見廻り組と西郷は水面下でつながっていたのではないか。今井信郎が明治時代、牢屋に入れられている時、最も保釈に尽力したのは西郷隆盛である。

方向性の違いから、中岡どのと斬り合いになった、なんて説もありますなー。
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そもそも「中岡慎太郎」は武力革命のリーダーで、平和路線を歩もうとする坂本龍馬を説得するつもりで会談に臨み、意見が通らなければ斬るつもりでいた。

近江屋の通りをはさんだ反対側は土佐藩邸。ここに新撰組やら京都見廻組が来たら騒動になっただろう

発見者たちはおそらく最初から見守っていたのであり、彼ら(谷干城:のち農商大臣、田中光顕:のち宮内大臣)はのちに出世している。

龍馬の死で幕府はズタズタ。

それでもまだ新選組を疑うか。

って、もう、どうでもよくねぇか?

坂本龍馬
私のことを悪く思う人もいるでしょうが、

「世の人は我を何とも言わば言え

我なす事は我のみぞ知る」

あ、いろは丸沈没事件で多額の賠償金を背負わされた紀州藩は確実に恨みに思ってますねー
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