~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「幕末年表㉙:1868年6月」です。

「上野戦争」を平定した後、

江戸にて木戸孝允、大久保利通、大村益次郎、大木喬任の会合が持たれました。

内容は、「東京遷都」についてです。

また、大村益次郎は会津戦争における白河方面の作戦で西郷隆盛と対立します。

それもあって、西郷隆盛は薩摩にいったん下野します。

ただ、大村益次郎は西郷隆盛がいつか新政府軍の敵となることを見抜いていました

1868年(慶応4年)6月

6/5征討軍大総督参謀西郷隆盛、上洛して援兵を要請。

※薩摩藩兵の東下が決定。大久保利通が随行。
6/9西郷隆盛は藩主・島津忠義とともに薩摩へ帰る
6/14西郷隆盛、薩摩到着
6/19木戸孝允(参与、長州藩)、大木喬任(京都府判事、佐賀藩)に東下が命じられる

※これを告げたのは岩倉具視以外にあるまい。
6/21大久保利通、江戸到着。
6/25木戸孝允、品川沖に到着。
6/27木戸孝允、大久保利通、大村益次郎、大木喬任が「天皇東幸」の密議
大村益次郎
東征軍の参謀は事実上、私1人でやることになりました。

西郷隆盛は要注意人物ですね。

いつか、新政府軍と戦うことになるでしょう。

後に真実となるんですな…
あと、薩摩藩の海江田信義どのが、私の作戦に意見しました。

彼は戦というものをあんまり知らんようですね。

ぐぬぬ…
それはそうと、首都移転の件ですな…
うぬ。しかし、今後注意すべきは「西」でしょうな…

大坂に軍事拠点を設けましょう。

「西」=「西郷」?

そう考えても良いです。

大村殿のすべてが正しいわけではないでごわすよ…

敗残兵に対して厳しすぎるでごわす…

頭が良いのはわかりもすが、融通が利かないというか…

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