~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「日露戦争後のアジア情勢」です。

もう一つ上の日本史」(2020年)の「世界に打って出る日本」編を参考にさせて頂いております。

「脱亜入欧」を選択し、その延長上の外交政策が作り出した国際関係の結果が、日清戦争であり、日露戦争だった(p126)

つまり、日清・日露戦争は「脱亜論」で福沢諭吉が述べたように、

共同でアジアを興すという余裕はない。

という一言に集約されているのではないかと思います。

ネルー元首相(インド)

「日本の勝利はアジア諸民族を勇気付けた。」っていうネルー首相(インド)の言葉には続きがあるんです。

「しかし、それは、すぐに失望に変わった。」
 
「・・・一握りの侵略的帝国主義グループにもう一国を加えたというに過ぎなかった。」

という言葉です。

このままアジアの民族解放に向かえば、すごいことだったのかも知れませんけど、ただ本当に「そこまでの余裕はなかった」んでしょう。

そして、日本を責めるのではなく責められるべきは列強でしょ

これは、「良い」「悪い」の問題ではないと思います。

日本の近代化は、東アジアにもう一つの「列強」を作り出すことと非難される面もあるのですが、列強を模す以上、政治体制、対外政策も模すことになるのです。

ただ、後の第1次世界大戦後のパリ講和会議で日本は「人種差別反対」を国際連盟規約に掲げようとしますが、イギリスの反対で実現しませんでした。

ベトナムの東遊運動中止

アジア諸国を失望させた例としては、ベトナムの「東遊運動(ドンズー運動)」中止があります。

 

ファン・ボイ・チャウらが中心となり明治維新を学ぼうとしていましたが、宗主国フランスの横槍で日本は留学生を全員国外退去させました。

これも日本をあまり責めないで欲しい。

この時期は「英仏協商」が成立しているので、日英仏で協力する必要があったし、日露戦争で日本は金欠。

ホントに余裕がなかったのだと思う。

むしろ責められるべきはフランスだろ。

それにこの時期、単独でものごとを決められるのはイギリスくらいじゃないかな。

イギリスに歩調を合わせるのは国家として当然じゃないか?

日英同盟あっての日露戦争勝利です。

【まとめ】

日清戦争・日露戦争で日本が勝利。
しかし、これは東アジアに新たな列強を作ることでもあった。

・・・と日本が非難されることが多いが、この時点で日本は「共同でアジアを興す」ほどの余裕はなかった

むしろ非難されるべきは西洋列強ではないか?