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☞【日清・日露戦争戦間期ダイジェスト】『日清・日露戦争はこうして起こった』(§4.中国分割と日露対立編)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「日清戦争・日露戦争の戦間期」のダイジェスト。

神野正史先生『世界史劇場 日清・日露戦争はこうして起こった』(2013年)、第4章「中国分割と日露対立」編をベースにさせて頂きました。

【年表①】露清密約(1896年)~門戸開放宣言(1899年)

1896露清密約(※1)

(→李鴻章が賄賂を受け取り東清鉄道敷設権をロシアに渡す。)
(→1901年、東清鉄道完成@満州)
1898中国分割ほぼ終わる(※2)
1899米国、門戸開放宣言

(※1)露清密約(李鴻章-ロバノフ協定)

1891年よりロシアは国家予算の大半をシベリア鉄道建設に投入していました。

狙いは極東アジアです。

しかし、ロシア国内は地形的に鉄道敷設が困難であったため、清国の満州内を通る「東清鉄道敷設権」を求めます。

「三国干渉」の見返りの意味合いもありました。

これは不平等条約であり、実質上は領土割譲でしたが李鴻章は、賄賂とともにあっさり認めました。

その後もロシアは南下する支線を設け、旅順、大連まで到達します。

これでは黄海、東シナ海への出没が可能になるためイギリスも慌てて、威海衛を租借し、封じ込めにかかりました。

(※2)中国分割争奪戦

ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、日本は福建省を租借。

中国分割がほぼ完了したのが1898年です。

アメリカは当時、米西戦争(アメリカースペイン@キューバ)にかかりきりで出遅れました。

フィリピンを領有して太平洋まで勢力範囲とし、なおも中国分割に参加したいと表明したのが「門戸開放宣言」です。

(名前はなんか良さそうですが、ケーキを分け終えてしまったので、もう1回、新しいケーキを作り直して俺にも食べさせろ、的なものです。)

【年表②】戊戌の変法(1898年)

1898.6.11戊戌の変法(※3)
1898.9.21戊戌の政変(※4)

(※3)戊戌の変法

清が敗退した原因は中途半端な近代化であるとして、日本を見習って立憲君主制を実現しようとしたのが康有為ら。

康有為は「日本が30年なら我が国は3年で近代化できる!」と宣い、光緒帝の信任を得て改革に着手しました。

(※4)戊戌の政変

しかし、まだ西太后が実権を握っていました。

光緒帝が次々に新法を発布しても西太后の許可のない法令は官僚が握りつぶすという事態になりました。

康有為はこうなったらクーデターしかないとばかり、差し違え覚悟で袁世凱に頼み込みます。

袁世凱はその場ではお茶を濁しましたが、そのまま密告します。

康有為の改革は強制的に中止。

光緒帝は在位しながらも小さな島に流されてしまいました。

(光緒帝は西太后の甥にあたります。)

そして、10年間監視され、1908年、西太后の亡くなる前日に暗殺されます。

【年表③】義和団の乱(1899年)~北京議定書(1901年)

1899義和団の乱(※5)

(→6/21 八カ国共同出兵)
1900アムール河事件(※6:ブラゴヴェシチェンスク虐殺事件)

※20世紀は「虐殺の世紀」とも。
1901北京議定書(※7)

(※5)義和団の乱

飢餓にあえぐ民衆の中には「ライス・クリスチャン」となるものと、「義和団」に入るものがいました。

(「ライス・クリスチャン」・・・米を食べるためにキリスト教に入信したもの。)

ドイツの割譲にあった山東省は孔子の出生地であり、中国人とキリスト教徒の対立が常態化し、「仇教運動」が起こりました。

(「仇教運動」・・・反キリスト教運動。)

これが義和団と結びつき、中国北部一帯に「義和団の乱」が生じます。

清は当初は鎮圧しようとしましたが、義和団が「扶清滅洋」をスローガンにしていることを聞くと、これを支援することにしました。

ロシアはこれ幸いと8000の軍隊を送ります。

当時、イギリスはブール戦争、アメリカは米比戦争で余裕がなく、イギリスの要求を受けた日本が13000の軍を送ることになりました。

最終的に、「ほぼ日露」軍で構成された「八か国共同出兵」により義和団は鎮圧されます。

西太后は旗色が悪くなると見るや、今度は義和団鎮圧を指示する有様でした。

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(※6)ブラゴヴェシチェンスク虐殺事件

義和団の乱は満州まで波及します。

ここでロシア軍はかねてから狙っていた満州のブラゴヴェシチェンスクの住民を大虐殺し、支配します。

この事件は日本にとっても脅威として伝わり、日本もこうなる可能性があると恐れるきっかえとなりました。

(※7)北京議定書

義和団の乱が鎮圧され、「北京議定書」が最終的に結ばれました。

ここで「賠償金」の決定、「外国軍隊の駐兵権」が決定しました。

駐留兵を残して撤兵するはずでしたが、ロシアだけは満州に居続けて不法占拠します。

これに日本は危機感を抱き、さまざまな主張を行うも、全く無効。

一方、ロシアはシベリア鉄道を着々と作り、日本制圧を目論むのです。

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