~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【甲申政変を説明できますか】「もう1つ上の日本史」で打線を組んだ:世界に打って出る日本編①

世界に打って出る日本」編は日清戦争、日露戦争がメイン。

非常に難しい。

二、三度読んだだけではどうしても「日清戦争は朝鮮を清から独立させ近代化させるため」、「日露戦争はロシアが朝鮮を橋頭堡として日本に攻めてこないため」という側面を否定し切れないし、若干、日本の非だけ書かれている気もする。(朝鮮、清、ロシアの非の部分にも書いた方が良いと思うが、これはこの書籍の特色上、致し方ないか。)

どっちが悪いとかいう考えには興味がない。

それによって、現在どうだとかいうことにも興味がない。

ただ、事実が知りたい

1右 井上馨も、クーデターへの関与を伏せて(p78)

何のことかと言うと、1884年の「甲申政変」について。

年表整理が必要と思います。

日朝関係 1873~1885年

1873年9月13日岩倉使節団、帰国

頑迷に開国を拒否する大院君に対して、西郷隆盛が使者となり外交を進めることを留守政府は決定していた。しかし、帰国組がこれに異を唱えて論争が始まる。10月24日、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平らが辞職。

※西郷隆盛は武力討伐を意図していたわけではない。【コチラも
※大久保利通も内政問題が先と考えていたわけでもない。
※征韓論者全員が辞職したわけではない。(大隈重信、福岡孝弟、谷干城ら)
1875年9月20日江華島事件

日本が沿岸測量などして挑発したことで、軍事衝突となる。

※当時の朝鮮はいわば「攘夷に燃えていた長州藩のような国」と考えるとわかりやすい。
※測量を行なうペリーに対して幕府が攻撃を加えていたら、日本もアメリカと軍事衝突となっていた可能性が考えられる。
1876年2月26日日朝修好条規締結(江華島条約とも言う。)

江華島事件の処理。これにより朝鮮が開国。政権を担っていた閔妃は日本から軍事顧問を招き近代化に着手することになる。

※コレに対して清も朝鮮に介入。「属国」化を進める。そのため日本と対立。
1882年7月23日壬午軍乱(壬午事変)

財政難により俸給が減ったことで兵士たちが蜂起【コチラも】。閔氏政権の有力者や日本人の軍事教官らが殺害された。清は袁世凱を派遣してこれを鎮圧する。大院君が政権を握ったが、袁世凱は大院君を捕らえて閔妃政権を復活させる(8月26日)。

♨閔妃と袁世凱で取引があったのか?以後、閔妃は日本ではなく清側に傾く。
1882年8月30日済物浦条約

日本は賠償金を請求。そのうえで軍の駐留を認めさせる。(といっても、清が3000人程度であったのに対して、日本軍は200人程度。)

一方、改革派であった金玉均らはさらに日本に接近した
1884年8月5日清仏戦争勃発

ベトナム支配権をめぐって、フランスと清が交戦。
1884年12月4日甲申政変

井上馨外務卿の訓令を受けて漢城に帰任した竹添進一郎公使が金玉均を支援して起こったクーデター。しかし、作戦は失敗。井上馨はクーデターへの関与を伏せて、公使館を焼き打ちにした朝鮮を非難。謝罪と賠償金を認める漢城条約を締結。

国内世論は対清強硬論が沸騰
※のち、下関条約締結(1895年)に際して李鴻章は暴漢に襲われる。(♨しかし、この原因を10年前の甲申政変時における井上馨に求めて良いものか?)【コチラも
1885年4月18日天津条約

日清双方の軍が引き上げることが決定。ただし、朝鮮から出兵要請があれば、通知をしたうえでの派兵は可能とされた。日本側全権は伊藤博文、清側全権は李鴻章。

※日本と清では出兵していた数が違ったため条件は日本にとって有利であったか。清仏戦争のため清も妥協する必要があった。
※清仏戦争も天津条約(1885年6月9日)が締結された。混同しないように。
ただ、なぜ金玉均のような憂国の士が出現したのかも考えてみよう。
上が腐ってんだよな。

ただ、「栄光の明治」って考えはひとまず辞めな。

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