~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

2左 東学党の乱は2回あり、2回目が、日本によって鎮圧された(p83)

つづいて2番。

全体として見た場合、このことは些細なことかも知れない。

でも、日清戦争の経緯を説明する上で、混同しては困る。

東学党の乱は「2」回あったのだ。

また、年表を。

日朝関連年表 1880年~ 

1880年代閔妃政権下では、朝鮮各地で減税をスローガンに一揆が頻発していた。
1894年2月東学党の乱(甲午農民戦争)

※「東学」とは欧米を「西学」としての「東学」。

1894年5月30日閔妃は清に援軍要請、清は派兵決定
1894年6月6日天津条約に基づき日本も派兵
1894年6月10日農民軍は急いで朝鮮政府と和解
1894年7月23日日本軍混成旅団が王宮占拠、新政権樹立。

→新政権に清軍掃討の依頼を出させる。

日清開戦へ。(※7月末から交戦、8月1日に宣戦布告)
1894年10月東学党の乱(二次蜂起)

※この頃は日本軍の勝利が確定的となっていた。日本軍と新政権に対して東学党の反乱がおき、日本軍が鎮圧。反乱の黒幕が大院君という説もある。
1895年4月下関条約

※日本側の全権は外務大臣・陸奥宗光。清は李鴻章。3月19日から講和会議が開かれた。3月24日に李鴻章が暴漢に襲撃されるという事件もあり「講和(つまり降伏)」ではなく「休戦」となる。

①朝鮮の独立を「清」が認める
②台湾、澎湖諸島、遼東半島割譲
③二億両

がメイン。

3中 善意やボランティアで国家予算の2倍もの戦費をつぎ込む戦争をする国はありません(p84)

下関条約締結過程で、李鴻章は「朝鮮の独立は日清双方が認めること」と主張します。

これに対して陸奥宗光は「清が認める(日本は認めない)」という形式を主張。

あれ?

つまり、日本の企図としては「朝鮮の独立」に違いないものの、

「朝鮮が清から独立すること」

であったというのが、このテーマ。

そりゃ、善意やボランティアで国家予算の2倍の戦費をつぎこむ戦争なんてしませんよね。

これは良い悪いの問題ではないですからね。

私自身は「国家」を生物と考え、戦争は生物としての本能的な生存競争による衝突と考えてます。

それは清とて同じ。清が勝っても同じような喧伝をしていたでしょう。

戦争がキレイごとじゃないなんて、こっちもわかっているアルよ。

朝鮮独立だけを目指していたなら朝鮮半島から清が撤退した時点で辞めてるでしょう。

順番的に3番打者に決定。

続きはコチラ

「租借」と「割譲」の違い

ちなみに、「租借」は「割譲」と異なり、租借料を払います。

日清戦争後、なぜ、清が租借地だらけになっていったのかと言うと、清が財政難となったからです。

賠償金に加え、さらなる近代化の必要を感じたことも原因とされます。

そのため、西洋列強は借款を申し入れ、見返りに土地を借りていたのです。

租借地を拠点に、鉄道敷設権、鉱山開発権などなどを支援と引き換えに得ていました。

そりゃ、タダのわけないですよね。

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