~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介するのは1931年の「満州事変」です。

この事件はいまだに評価が分かれるところですね・・・

とりあえず、似たような場所で「列車爆破」事件があった、

張作霖爆殺事件」とは全く別物ですので混同しないように。

列車爆破自体を「柳条湖事件」と呼びます。

「満州事変」とはその後の軍事行動です。

「満州事変」とは?

【満州事変】

1931年9月18日に列車爆破事件(=柳条湖事件)がおきる。

その後、これを中国軍の仕業と発表した関東軍および在朝鮮軍による一連の軍事行動を「満州事変」と呼ぶ。

若槻内閣の不拡大方針を無視して、関東軍は満鉄沿線外まで拡大。

1932年3月に満州国建設となる。


満州事変は1933年5月の塘沽休戦協定で停戦。

朝鮮軍も独断で満州へ応援に行きます。

なぜ起きた?

そりゃ、おめえ、おまんまが必要だべや。

まん

国内は不景気だし、アメリカからも追い出されたし。

(※排日移民法)

① 開拓先として

永田鉄山
私、当時、一介の中堅に過ぎません。

日本には資源が必要でしょう。

満蒙領有論と申しましょうか。

② 資源を求めて

石原莞爾
私、作戦責任者です。

満州は日露で日本が得た権益ですが、ソ連によって脅かされています。

③ ソ連との緩衝地帯として

森恪
一夕会の連中、なかなかやるわい。
国内では帝国在郷軍人会を中心に国防思想運動が本格化しておりましたねー。
1928年からのソ連の第1次5ヵ年計画が成功していると感じました。
6月の中村大尉事件、7月の万宝山事件も引き金でしょうか。

④ 報復として

【中村大尉事件】・・・満蒙地域を密偵中の中村大尉らが中国軍に殺害された事件。

【万宝山事件】・・・長春近郊に移住した朝鮮人農民の土地開墾をめぐる対立から日中両国が発砲。

石原莞爾
タイミング的にも今しかなかったんですよね・・・。

あんまり長引くと計画が政府に知られてしまいます。

アメリカは不況。

イギリスは植民地政策でそんなに口出ししてこないでしょう。

関東軍1万vs相手45万でしたが、勝つことができました。

稀代の天才。
中国国民
いいわけないアル!

私の土地で暴れるナ!

蒋介石
しかし、我々の真の敵は共産党。

(日本軍を相手にしてはおれん・・・)

汪兆銘
国際連盟に訴えてやる!

若槻禮次郎
私ではどうにもなりません。

リットンさ~ん!

当時の雰囲気がわかります。

8282typhoonさんに感謝。亡き祖父も満州にいました。

現在(2021/1/7)、緊急事態再発令など、国内問題が続いておりますが、

当時は農村で身売りなどが相次いでおりました。

軍人も元は人の子ですから、こうした状況に我慢できず、満州事変や五一五事件、二二六事件が起きたのだろうな~

と想像しております。

つづき
なお、本書を大いに参考にさせて頂きました。