【第7章 まとめ】
★1943年11月、東京で「大東亜会議」が行われた。(東条英機。)もっとも、これは「日本の資源のためのもの」であったという側面があった。
★現地の農業政策は成功したとは言い難い。現地人にとって迷惑であったこともあった。
★アジア全体での死者は2000万人。
第7章:アジアは1つだったのか?帝国崩壊、死者は2000万人を超えた
★1943年11月、東京で大東亜会議が開催され、「汎アジア主義」が沸騰。しかし、大日本帝国のための大東亜共栄圏であったという側面も否定できない。
♨「大日本帝国のための大東亜共栄圏」という考えは【昭和陸軍の軌跡】にもあった。「後付け」感も否めない。やはり、「大東亜共栄圏」を考えるのであれば、真珠湾を攻撃している場合ではなかったのだ。
★日本軍が軍票を乱発したことで占領地ではインフレ。そして、戦後、名実とともに「紙くず」になった。
★ビルマ、タイ、仏領インドシナはコメの三大生産地で、大英帝国の拠点であるシンガポールを経由して欧米や日本などに輸出されていたが、日本がその経済圏に侵略することで輸出先を失う。
日本は本国に運びたかったが、海上交通路の破壊により計画は崩壊。さらに日本軍による現地での農業政策は失敗しており、仏領インドシナでも200万人もの餓死者が出たと言われる。(農業従事者の軍需動員、生産物の強制供出など)
※辻政信…ノモンハン事件ではソ連軍に敗れた現地指揮官に自決を強要。戦後の混乱期を行き抜き、戦犯指定は受けなかったが、衆議院現職中、視察先のラオスで謎の失踪。
【年表はコチラ】
<インタビュー:益川敏英(理論物理学者)>
「憲法9条を守ろう、どんな小さな声でも集まれば大きな声になる」国家は巧みに国民すべてを取り込み、精神動員をする
★ノーベル賞の授賞式の記念講演で反戦演説をした。
★戦争がはじまると誰もが戦争と無関係でいられなくなる。父は家具工場を営んでいたが、戦争がはじまると工場はとりあげられてしまい、しかも航空用燃料タンクを造らされた。名古屋空襲では一家で逃げ回った。
★物理学の難問が解けるのであれば、現代の難問も解けるはずだ。
★「科学者である前に人間であれ」と教わった。戦争のできる国になってからでは遅い。
♨「●●である前に人間であれ。」いい言葉だ。