~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは「1944年5月~8月」

マリアナ沖海戦で大敗北を喫した日本軍は、その後、サイパン陥落。

これにより本土空襲は不可避となりました。

東条英機はなおも続投に意欲を見せておりましたが、「東条下ろし」により内閣総辞職となり、小磯国昭(陸軍)が首相となります。

以下、「総力戦のなかの日本政治」などを参考にさせて頂きました。

【年表】1944年5月~8月

1944年アジア太平洋その他
5月
6月マリアナ沖海戦(19-20日)(※1)
・日本機動部隊、米軍のレーダー網に捕捉され全滅
連合軍、ノルマンディー上陸
(6日)

北九州爆撃
・中国本土から
・B29

津野田知重(陸軍)、牛島辰熊らによる東条暗殺計画
【コチラも】
・辞任したため実行されず
7月インパール作戦退却命令(5日)サイパン玉砕(9日)(※2)
・戦闘に巻き込まれ多数の民間人が犠牲。
・自決者の飛び降りた崖は「バンザイクリフ」「スーサイドクリフ」と呼ばれる。
・大本営発表も不利な状況を隠さず。国民に覚悟を促す内容に変化。
東条内閣総辞職(※3)(18日)

高木惣吉(海軍)らによる東条暗殺計画
・辞任したため実行されず
8月ミートキナ(ビルマ)失陥(3日)テニアン玉砕(3日)

グアム玉砕(11日)
ダンバートン・オークス会議(~10月)(※4)
・ワシントン近郊
・米英ソ中
・世界機構設立に関する提案

八幡製鉄所爆撃

(※1)マリアナ沖海戦

これにつきましては、さまざまな方がblogやyou tubeにupしており、そちらの方が良いと思います。

結局、日本の「アウトレンジ作戦」(小沢知三郎司令官)は失敗。

そもそも精兵でないとできない作戦を精兵でない人がやる時点で無理がありました。

 

第1条:精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと。

また、アメリカは「VT信管」などの、要は「あんまり射撃能力が高くない兵でも使える」ものを持っておりました。

科学含めてアメリカの圧勝です。

また、この少し前、3月31日に「海軍乙事件」というものがありました。

参謀長福留繁中将の乗った航空機が不時着し、フィリピンゲリラの捕虜となった件です。

この件で、福留繁中将が持っていた「日本軍の機密文書が漏れていた」のです!

兵力、科学の力、その他もろもろ負けているうえに、日本軍の兵力や補給能力なども漏れていたら、勝てるわけ無いですね。

こんなの作れるんですね。すごいです。5分58秒。

ブログ↓

崩壊する戦線(4)-絶対国防圏の崩壊:マリアナ沖海戦とサイパン陥落

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210010_00000

【wiki】

(※2)サイパン玉砕

マリアナ諸島に浮かぶサイパン島。

第1次大戦で日本の委任統治領となりました。

(その後、沖縄を中心として日本からの多くの移民が訪れ、製糖業などに従事しておりました。)

しかし、この地が戦場となってしまったことで、日本軍守備隊2万9000人のほか、非戦闘員も1万人ほど死亡してしまいます。(先住民たちも犠牲となりました。)

サイパンには米軍基地が作られ、日本への空爆の拠点となりました。

サイパンからであればB29(大型爆撃機)が日本の諸都市を爆撃して帰還することができたので、サイパン失陥は本土空襲を容易にしてしまいました。

(※3)東条内閣退陣と小磯内閣誕生

サイパンを失ってもなお東条英機は戦争への意欲を失っておりませんでした。

しかし、岡田啓介元首相など海軍系重臣は「東条下ろし」を画策しておりました。

東条は米内光政、阿部信行の入閣で海軍系重臣の批判をかわそうとしましたが、米内は入閣を拒否します。

また、重臣の入閣のためにポストをあけるように言われた岸信介は、「重臣が入閣しないならば総辞職すべき」と言い、「閣内不一致」のため内閣総辞職となりました。

後任には朝鮮総督小磯国昭が決定します。

東条は陸相としての留任を画策しましたが失敗し、東条に近い杉山元が陸相となりました。

※海軍大臣には米内光政。

(※4)ダンバートン・オークス会議

一方、その頃、連合国は世界機構の実現に向けて会議を重ねておりました。

ここでは、ソ連が16の共和国すべてを新しく設立する世界機構に加盟させることを主張し、アメリカと対立しておりました。(多数決となったらすごい数ですものね。)

また、安全保障理事会を構成する常任理事国が、自国が関わる紛争において拒否権を発動し得るかどうかをめぐっても対立しておりました。

こうした事項は、その後(1945年2月)のヤルタ会談でさらに検討されます。

まとめ

【1944年】

6月…マリアナ沖海戦。大敗。

7月…サイパン陥落。東条下ろしが加速し、ようやく退陣。かたやインパールでも大損害。


※サイパンには航空基地が作られ、本土空襲の拠点となる。

 

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