~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「元正天皇」時代です。

…「アナと雪の女王」を観ると、どうしても元正天皇をイメージしてしまうのですよね…

第44代:元正天皇期(715年~724年)

天皇になる前は「氷高皇女」と呼ばれていました。

【元正天皇】…680年~748年。(在位715-724年)
聖武天皇成人までのつなぎとしての即位。父は草壁皇子、母は元明天皇。
元正天皇時代に日本書紀が完成した。
前半は元明天皇、藤原不比等と政治を行い、2人の死後は長屋王と政治を行う
723年には長屋王とともに三世一身法も制定。

716 藤原不比等の娘・光明子が首皇子(のちの聖武天皇)と結婚。

(※藤原氏は外戚に。)
717第8回遣唐使。
718養老律令完成。
(施行は757年。大宝律令をちょっとリニューアル。)
720 日本書紀完成。

藤原不比等死亡
721元明天皇死亡
722 百万町歩開墾計画
723 三世一身法が出される
724聖武天皇(甥に当たる)に譲位

717年に行基の活動が禁止になっているのは頭の片隅にでも置いておく。

716年、「藤原不比等の娘」が聖武天皇と結婚…?

ここで、あれ?聖武天皇の母親も藤原不比等の娘じゃなかったっけ…?

と思った方は鋭いですね。

藤原不比等の娘の1人、「藤原宮子」は文武天皇と結婚して首皇子(聖武天皇)を産み、

もう1人の「藤原光明子」は姉・宮子が産んだ首皇子(聖武天皇)と結婚したのです。

妹はのちに皇后となり「光明皇后」となります。

藤原宮子(?~754年)…文武天皇后、子供が聖武天皇。
藤原光明子(701年~760年)…聖武天皇后。叔母・甥の関係だが、聖武天皇と光明子は同い年だからそれほど変ではないが。

ちなみに、元正天皇と聖武天皇の関係も叔母・甥です。

元正天皇の弟が文武天皇ですので、聖武天皇にとっては父方の叔母にあたります。

718年、養老律令完成

施行はまだあとですが、「養老律令」が完成しました。

藤原不比等以後の政治を支えた:長屋王

長屋王は天武天皇長男・高市皇子を父親に持ち、天智天皇娘(つまり元明天皇の同母姉)の御名部皇女(みなべのひめみこ)を母親に持つというサラブレッドです。

藤原不比等死後、政治の中心となりましたが、729年、藤原四兄弟の陰謀により謀反の疑いがかけられて自殺しました

聖武天皇黒幕説コチラ】というものもあるんですね…)

近年の発掘調査の結果から、なかなか立派な料理を食べており、牛乳を飲んでいたことなども判明しました。

「藤原氏陰謀論」が定説ですが、「聖武天皇黒幕論」、「長屋王が実際に野心アリ論」など諸説アリ。

723年、「三世一身法」。

長屋王とともに制定。必ずしも成功とは言えず。

古い灌漑を使えば「1世代のみ」というのはケチくさい。

元明天皇と元正天皇のちがい

何かと紛らわしいので、整理しました。

元明天皇(661~721)元正天皇(680~748)
708年~715年(第43代)在位715年~724年(第44代)
阿部皇女名前氷高皇女
天智天皇、蘇我姪娘(蘇我倉山田石川麻呂娘)を両親とする。
持統天皇は異母姉であり姑。
大友皇子は異母父。
両親草壁皇子、元明天皇(天智天皇娘)を両親とする。
天智天皇の孫でもあり、天武天皇、持統天皇の孫でもある。
文武天皇は弟。
夫は草壁皇子。
つまり天武天皇および持統天皇の義娘にあたる。
配偶者結婚経験はない
(美人でありながら結婚せず。
「氷高皇女」という名前含めて、このあたりが「アナと雪の女王」のエルザっぽい。)
主に藤原不比等が政権政権主に長屋王が政権
出羽柵(708年)
和同開珎(708年)
平城京遷都(710年)
蓄銭叙位令(711年)
出羽国(712年)
古事記(712年)
風土記(713年)
政策養老律令選定(718年)…不比等ら
日本書紀(720年)
百万町歩開墾計画(722年)
三世一身の法(723年)

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