~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、奈良時代の幕開け、「元天皇」時代です。

息子の文武天皇が早世し、その遺言により母親が天皇になりました。

そして、元明天皇時代にかねてより計画されていた「平城京遷都」が行われます。

「長屋王残照記」(里中満智子先生)より。奈良時代を描かせたら里中先生が一番!

第43代:元明天皇時代(707年~715年)

【元明天皇】…661年~721年。即位時43歳で天智天皇の第4皇女(持統天皇の妹。)

草壁皇子の妻であり、子に文武天皇、元正天皇ら。夫の死亡、息子の早世で天皇となる。
和同開珎の銀銭・銅銭をつくり、都を藤原京から平城京にうつす。

707 文武天皇死去。

文武天皇の母であり、天智天皇娘の元明天皇が継ぐ。

♨文武天皇と文徳天皇は時代が全然違うが間違いやすい。
♨この時期にはもう平城京遷都が決定していた。
708和同開珎鋳造

かつては和同開珎が最古の貨幣と言われていたが、天武天皇時代の富本銭が最古と言われ、現在ではさらに無文銀銭が最も古いとされている。【コチラ

※出羽柵
710 平城京へ遷都

※平城京内に飛鳥地方の寺院も移される。(寺院配置まで試験に出されるので驚くが。)
寺院が強い影響力を持っていた証拠でもある。

※平城京遷都からが「奈良時代」。文化的には聖武天皇時代の元号を使い「天平文化」と言われる。

♨藤原氏の氏寺である興福寺も移されたが、盛り土で標高が上げられていることが近年の調査で判明。【コチラ:古代史講義より】
711蓄銭叙位令
712 古事記完成。

出羽国を建てる。ちなみに帰順した蝦夷は「俘囚」と呼ばれる。蝦夷と新羅(676年半島統一)が手を組まないよう東北へ進出したという説もある。
713 風土記編纂

渤海国(震国:698-926)、唐の冊封を受け入れる。

※名目上は地方政権だが、実質は独立国である状態に。渤海国の首都は上京龍泉府。日本とは友好状態にあり、ここからも和同開珎が見つかっているし、日本海沿岸にも渤海国のものが出土している。日本と満州の関係がこの時代から密接ということは感慨深い。(※平将門新政権樹立も渤海救出が目的という説もある)

大隅国を建てる

古代史講義/平城京遷都の理由はコチラ

708年、和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)

平城京以外の元明天皇の功績としましては、和同開珎があります。

日本(和)の銅を使っているのですが、漢字で書くと「和同」ですのでご注意を。

710年、平城京遷都

藤原京に比べて「儀礼空間」としての機能を「アップグレード」させたのが平城京だそうです。

藤原京は藤原京で広大な点は良かったんですがね…

シルクロードの終着駅?

「平城京」=「シルクロードの終着駅」という表現が使われることが多いのですが、

日本に流れ着いたのは「ごくほんの一部」。

正倉院宝物に置かれる多くのものは日本製だそうです。

「終着駅」とは言い過ぎだ。「支線」くらい?

711年、蓄銭叙位令

銭を造ったもののなかなか流通せず。

そこで一定以上の銭を納めれば身分を買える、という法律を制定。

712年、古事記完成

【古事記と日本書紀の違い】

古事記 日本書紀
712年 720年
特殊仮名遣い 漢文
神々が視点 人々が視点
稗田阿礼、太安万侶舎人親王
古事記は稗田阿礼が「誦習」と言われますが、「暗記暗誦(暗唱)」という意味ではないですからね。【コチラも

母(元明天皇)の時代に古事記、娘(元正天皇)の時代に日本書紀が完成します。

この2人、名前が似ていることもあって、どっちがどっちかわからなくなることがありますが、次に来るのが「聖武天皇」なので、「しょう」→「しょう」と覚えることにしました。(つまり、「元正」が後。)

713年、風土記(ふどき)編纂

現存する風土記は5つです。

唯一の完本は「出雲国風土記」。

ぶんごはいつも常にふとってはりまんな
豊後出雲常陸肥前播磨

絶対買うべき:石黒先生のゴロ本

「肥前」か「肥後」か、「豊後」か「豊前」か試験に出たりするので、ホントいやらしい!と思います。

712年出羽国、713年大隅国

穏やかそうな元明天皇のイメージからは離れますが、この時代、東北、九州へ進出しました。

平城京についてもう少し

平城京地図。wikipediaより。

https://nihonshi1200.me/2020/02/17/182-suzaku/

さて、南都七大寺の穴埋め問題がわかるでしょうか。