~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「天武天皇」です。

古代のキーパーソンの1人ですね。

第40代:天武天皇期(673年~686年)

【天武天皇】…天智天皇の弟と言われているが、「異父説」もあり。天智天皇の娘(=のちの持統天皇)を妻とした。

息子は草壁皇子、大津皇子、高市(たけち)皇子、舎人親王。

673 天武天皇即位。
(※飛鳥浄御原宮。今の奈良県高市郡明日香村。)
676藤原京造営開始
680薬師寺建立発願
681 律令と史書の編纂事業開始

『帝紀』、『旧辞』がもととなり、のちに『古事記』、『日本書紀』が完成する。『日本の歴史』を示す必要があった。

飛鳥浄御原令の制定を命じる
683この頃、「富本銭」が造られる
684 八色の姓(やくさのかばね)を制定

(※皇族を頂点とする身分制度。)

【八色】
真人(まひと)、朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)
686天武天皇死去

藤原京、薬師寺建立を見ずに。

673年、飛鳥浄御原宮で即位

壬申の乱で勝利した大海人皇子が飛鳥浄御原宮(奈良県)で即位します。

大臣を置かず、皇后(のちの持統天皇)、皇子(草壁、大津、高市)ら、諸王など皇族による律令体制を敷きました

壬申の乱はそもそも勝利が決まっていた?コチラも

古代史講義戦乱篇:壬申の乱はコチラ

「天皇」という名称が制定されたのも天武天皇の時期です。

「天皇」という言葉は道教の最高神を表し、唐の高宗も用いていました。

一方、「日本」という国号が世界デビューしたのもこの時期です

680年、妻を思って薬師寺建立開始

薬師寺は持統天皇の病気の平癒を祈願して天武天皇が建てました。【コチラの語呂合わせも

残念ながら、その完成を見る前に天武天皇自身が死んでしまうんですがね。

ちょっと紛らわしいのですが、「新薬師寺」は奈良時代、光明皇后が発願して造られたもので、全く別物です。

薬師寺は法相宗、新薬師寺は華厳宗と宗派も違います。

ただ、仏教政策を推進(大官大寺、薬師寺など官立の大寺を建立、僧尼を規制、仏教を国家統制に。白鳳文化にも影響)したと思いきや、

伊勢神宮を中心とする神祇制度を整備、大嘗会(即位最初に行う新嘗祭)を確立したのも天武天皇です。

地方豪族でも氏寺建立は盛んになりました。

683年、富本銭

天武天皇が企画したもの、完成を見ずに本人が死んでしまったものは「薬師寺」だけでは有りません。

藤原京」の造営もその一つで、持統天皇の代で完成して、694年に遷都しております。

また、「飛鳥浄御原令」も天武天皇の時代から作り始めて同じく持統天皇の代、689年に完成しました。

「古事記」「日本書紀」に至りましては完成がそれぞれ712年、720年です。

天武天皇が生きているうちに実現できたものとしては 「富本銭(ふほんせん)」の鋳造が挙げられます。

日本最古の貨幣として数えられていた時代もありましたが、

近年では「無文銀銭(むもんぎんせん)」が最古であると認められました。

https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/58mumon.html

もっとも、流通量は知れていたんでしょうがね…

684年、八色の姓(やくさのかばね)制定

また、684年に「八色の姓」を制定しました。

従来の「臣」だとか「連」の上に「真人」だの「朝臣」だのといった階級が加わっております。

これによって、従来の豪族は相対的に地位が下がり、

天武天皇に近い人(真人)、あるいは大きな功績のあった人物(朝臣)が上位階級を占めます。

天武天皇の政治が「皇親政治」と言われる所以でもあります。

いろいろややこしいのですが、名前だけでも覚えておきましょう。

wikipedia

天武天皇に関してはコチラも