~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「持統天皇」時代です。

百人一首「春過ぎて…」で知っている方もいるかも知れません。

実際はこの絵に書かれているような奥ゆかしい人ではない。

割と「どろどろ」とした時期です。

しばしの空白時代(686年~690年)

【空白3年の理由】

…出生順的には壬申の乱でも大活躍した高市皇子(たけちのおうじ)が即位するところですが、母親の身分が低かったため即位できません。(ちなみに高市皇子は長屋王の父。)

次の年長者は鸕野讃良皇女(=持統天皇)息子の草壁皇子(くさかべのおうじ)で、実際に皇太子になっていましたが、大田皇女(おおたのひめみこ:持統天皇の姉)の息子、大津皇子(おおつのみこ)の評判がすこぶる良いのです。

このままではダメだと思った持統天皇は、天武天皇死後1ヶ月後、大津皇子を謀反の疑いで死刑します。

ただ、すぐに草壁皇子が就くと、周囲の反発を受けかねないことから、しばらく空位にしている間に、草壁皇子が30歳で早逝してしまいます(689年)。

そのため、孫の軽皇子(=のちの文武天皇、草壁皇子の息子)が成長するまでの「つなぎ」として持統天皇が就くことになりました。


※注:乙巳の変黒幕の孝徳天皇も即位前は「軽皇子」でしたので、混同しないように。

またこの時期、中国では則天武后の時代

唐も日本も夫から位を継いだ女性天皇の時代だったのです。

689草壁皇子死去。

(※持統天皇は草壁皇子を天皇にするために姉の息子である大津皇子を殺害したが、草壁皇子も死んでしまった。)

飛鳥浄御原令 <制定は天武、施行は持統> ←どうでも良いと思ってしまううのだが、引っ掛け問題としてよく試験で問われる。
690則天武后、国号を「周」に改める

則天武后はコチラも

【天武天皇の皇子たち】

第1皇子…高市皇子(654~696)

壬申の乱で指揮を執り活躍。草壁皇子の死後、690年から持統天皇のもとで太政大臣となった。息子が長屋王。

第2皇子…草壁皇子(662~689)

母は持統天皇。后が元明天皇(天智天皇第4皇女)。文武天皇、元正天皇の父。

第3皇子…大津皇子(663~686)

文武にすぐれ太政大臣となった。天武天皇の没後、謀反の疑いで捕らえられて自害させられた。持統天皇による。

第9皇子…刑部親王(~705)

大宝律令制定。

第41代:持統天皇期(690年~697年)

【持統天皇】…大化の改新の年に産まれる。天智天皇第2皇女にして、天武天皇の后。(伯父と結婚。当時13歳。)

690 持統天皇即位

草壁皇子死去により、母の持統天皇即位。庚寅年籍(こういんねんじゃく)という戸籍を作成。
692班田収受開始
694 藤原京へ遷都

※奈良県橿原市。 日本で最初の条坊制で作られた都城。東西5.3kmと平城京以降でも最大であった。この年、高市皇子も死去したため、草壁皇子の子である軽皇子が皇太子決定。

★ 藤原京は大和三山(畝傍山、耳成山:みみなしやま、天香具山)に囲まれた平野にある。 【頻出
697軽皇子(文武天皇)に禅譲。

ただし、文武天皇も25歳で早世。

持統天皇は、701年の大宝律令完成を見届けてから702年死去。

【持統天皇のお姉さん、大田皇女(おおたのひめみこ)】

天智天皇には、大田皇女、鵜野讃良(=のちの持統天皇)、大友皇子、阿閇皇女(のちの元明天皇)ら多くの子供がいました。

大田皇女が長女、 鵜野讃良 が次女ですが、ともに母を早くになくしたため祖母である斉明天皇に育てられたといいます。

そして、2人はともに大海人皇子に嫁ぎます。

ちょっとよく考えてみて下さい。
姉妹で同じ夫。

揉めないはずがない、と思いませんか…。

しかも、どっちかの息子が後継者になるという状況ですし…。

現代でも古代でも、人間の考えなんて一緒だと思いますね…。

大田皇女の息子が大津皇子、 鵜野讃良の息子が草壁皇子ですが、草壁皇子の方が先に生まれました。

最終的に鵜野讃良は甥である大津皇子を殺害することになります。

大田皇女は667年、大津皇子が5歳の時に死んでしまうのですが、もし長生きしていたらどうなっていたか、もし、大津皇子の方が先に生まれていたらどうなっていたか、いろいろ考えますね…。

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694年、藤原京遷都

藤原京の次が、平城京になります。