~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「天智天皇」時代です。

大化の改新以後は白鳳文化にちなんで「白鳳時代」とも言われます。

広義では「飛鳥時代」に属するのですが、「飛鳥」という言葉を用いると奈良県のイメージがありますね…

しかし、天智天皇時代の首都は滋賀(大津京)です。

ややこしいのですが、天武時代に再び奈良県に移ります。

第38代:天智天皇期(668年~671年)

【天智天皇】
舒明天皇皇極天皇皇子。626年生~672年死。
大空位時代、大津京遷都を経て668年即位。
天武天皇は同母弟とされているが、異父兄という説もあり。

年表

668 即位。
唐・新羅連合が高句麗を滅ぼし、朝鮮半島を支配
669 中臣鎌足死去。藤原姓となる。 (※息子の1人が不比等)
670 庚午年籍(こうごねんじゃく)が作られる

法隆寺が焼ける
672 天智天皇死去。

(※大海人皇子はその前に身の危険を感じて出家し、吉野へ。)

白村江の戦は危機を煽って中央集権を狙った?コチラも

斉明天皇が死んですぐに天皇に就かなかった理由はいまだにわかりません。

天智天皇の中央集権政策には反対する豪族たちも多くいました。

668年、高句麗が唐・新羅に滅ぼされる

ツングース系民族とは、朝鮮民族とは異なります。

高句麗(貊族)、渤海(靺鞨族)、金(女真族)、清(満州族) などがそれにあたります。

高句麗はツングース系の民族が満州から北朝鮮にかけて建国した国家です。

後漢末に遼東の太守公孫氏に追われて、209年、鴨緑江流域に移り城を築いたのが建国です。

中国が三国時代となると勢力を強め、313年に楽浪郡を滅ぼし、427年には都を平壌に移し、現在の中国東北地方から北朝鮮に及ぶ大国を築きました。

広開土王の時は領土を南方に広げ、朝鮮半島に進出した倭人とも戦いました

その後、隋の煬帝の遠征軍を撃退し、唐の攻勢にも激しく抵抗しましたが、668年に滅亡します

4-5世紀に高句麗が強大になったことは、東アジアの中での日本国家の形勢に大きな影響を与えました。

高句麗時代の古墳に見られる壁画と日本の高松塚古墳(7-8世紀初頭)は類似性が指摘されています。

なお、貊族と同じツングース系の靺鞨は、「高句麗の遺民」と称して698年にほぼ高句麗と同じ領域に渤海国を建国しました。建国者は大祚栄(靺鞨人出身)です。

669年、中臣鎌足死去。直前に藤原姓を受ける。

670年、庚午年籍

庚午年籍は全国規模の戸籍です。(ただ、東北北海道、沖縄は入っていない。)

庚寅年籍(こういんねんじゃく)は持統天皇の時に作られましたので混同しないように。

この顔からは想像つかないほど血塗られた業績を持つ。