こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「古代史講義(ちくま新書)」第7章より、「地方官衙と地方豪族」です。
執筆なされたのは東京大学名誉教授、佐藤信先生。
「地方官衙」=「国府(国衙)」、「郡家(郡衙)」であり、
律令国家は、地方豪族のもつ在地支配権を統合・統轄していました。
中央から派遣される国司には任期があっても、地方豪族が任じられる郡司には任期がないことがポイントです。
郡司とは
古代律令国家は地方行政として「国郡制」を敷いていました。
中央から「国司」が派遣される一方で、地方豪族は「郡司」に任じられて郡内の民衆を把握することで成立していました。
郡司に就任するような地方豪族はヤマト王権の時代には「国造」でした。
「大王」と「国造」は最初は「同盟的関係」にありましたが、次第に「従属関係」となっていました。
とはいえ、地方豪族は、壬申の乱においては東国の軍勢を動員するなど、重要な役割を果たしております。
また、地方豪族の美しい娘を天皇に出仕するパターンもありました。
1例としては、天智天皇と結婚した伊賀の地方豪族の娘(伊賀采女:いがのうねめ)です。
2人の間に生まれたのが大友皇子です。
また、天武天皇と筑紫宗像の地方豪族の娘(宗像采女:むなかたのうねめ)の間に生まれた「高市皇子」は壬申の乱の軍事指揮をとった有力な皇位継承者でした。
このように地方豪族と王権は深い関係にあったのです。
郡家(ぐうけ)とは
郡衙(ぐんが)とも言い、郡司の郡内統治の拠点です。
地方豪族が郡司に就任しましたが、職務上、文書の読み書きが必要であったことから漢字能力と儒教を身につけた膨大な数の下級役人が勤務していました。
郡家には正殿、脇殿、庭、郡庁のほか、大規模倉庫群(正倉院)、官人への給食センター、郡家を維持するための手工業場などが存在したことがわかっております。
また、郡家の近くには郡司氏族の氏寺も存在しました。
あるいは、七道の「駅屋(うまや)」、水上交通の港である「郡津」が郡家内に付属する場合もありました。
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【郡家の機能】
①公的機能
②財政機能
③宗教・祭祀機能
④文書行政機能
⑤給食機能
⑥手工業生産の機能
⑦交通機能
郡司家系は1つとは限らない
「郡司は任期がない」と書きましたが、実際は複数の地方豪族が「交代」で郡司となっていた地域もあったようです。
静岡県藤枝市にある志太郡衙跡。wikipediaより。