~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

東京大学名誉教授、佐藤信先生(【コチラ】も【コチラ】も)。「地方官衙」=「国府(国衙)」、「郡家(郡衙)」。律令国家は、地方豪族のもつ在地支配権を統合・統轄していた。中央から派遣される国司には任期があったが、地方豪族が任じられる郡司には任期がない。

郡司とは

古代律令国家は地方行政として「国郡制」を敷いた。

中央からは国ごとに国司が派遣され国内を統治していたが、国造などの伝統的な地方豪族が郡司に任じられて郡内の民衆を把握したことで成立していた。

郡司に就任するような地方豪族はヤマト王権の時代には国造であった。

大王と国造は同盟的関係にあったが、次第に従属関係となった。

とはいえ、地方豪族は重要な役割を果たしており、壬申の乱においては東国出身の舎人(地方豪族の子弟)たちが東国の軍勢を動員することに成功し、天武天皇を勝利に導いた。

また、地方豪族の美しい娘を天皇に出仕するパターンもあり、天智天皇と結婚した伊賀の地方豪族の娘(伊賀采女:いがのうねめ)の間に生まれた大友皇子は天皇となったし、天武天皇と筑紫宗像の地方豪族の娘(宗像采女:むなかたのうねめ)の間に生まれた高市皇子は壬申の乱の軍事指揮を行い、有力な皇位継承者でもあった。

地方豪族と王権は深い関係にあった。

郡家(ぐうけ)とは

郡衙(ぐんが)とも言う。

郡司の郡内統治の拠点が郡家である。

郡司には地方豪族が就任したとはいえ、連絡において文書の読み書きが必要であったことから漢字能力と儒教を身につけた膨大な数の下級役人が勤務していた。

郡家には正殿、脇殿、庭、郡庁のほか、大規模倉庫群(正倉院)、官人への給食センター、郡家を維持するための手工業場などが存在した。正倉院は別の場所に置かれることもあった。

郡家の近くには郡司氏族の氏寺も存在した。

七道の駅屋(うまや)、あるいは水上交通の港である郡津が郡家内に付属する場合もあった。

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【郡家の機能】
①公的機能
②財政機能
③宗教・祭祀機能
④文書行政機能
⑤給食機能
⑥手工業生産の機能
⑦交通機能

郡司家系は1つとは限らない

「郡司は任期がない」と書いたが、実際は複数の地方豪族が交代で郡司となっていた地域もあったようである。

静岡県藤枝市にある志太郡衙跡。wikipediaより。

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