こんにちは。
今回は、高校時代の思い出を紹介させて頂きます。
世界史を選択して勉強していたのですが、
「世界史が近代史まで到達しなかった」件です。
「近代史まで到達しない問題」
どうやら日本史にしても世界史にしても、「一番大事なはずの近代史が駆け足で終わる、あるいは全く到達しないまま終わる」という問題が古今東西あるようです。
最近は、「古代から」勉強する授業と、「近代から始まる」授業を同時並行でカリキュラムに組み込むというようなことをしている学校もあるようですが、
私自身の時代はそんな画期的なカリキュラムがあるはずもなく、高校3年生の冬休みに入る時点で近代史まで到達しておりませんでした。
(それでも一応、群馬県下有数の進学校のはずなのですがね。)
とある世界史教師の怒り
とはいえ、世界史の先生はとても話が面白く、授業が非常に楽しかったです。
しかし、話が脱線することもしばしばで、どうやらカリキュラムどおりに進んでいませんでした。
2年生の頃はテスト範囲が狭くなったと喜んでいたものですが、だんだんと、不安が。
そして12月上旬くらいだったと思います。
センター試験が近づいているというのに、なかなか近代史に突入する様子もないのにしびれを切らしたのか、生徒の1人が
「先生、このペースで終わるのですか~?」
と聞いたときのことです。
「コラ!何を甘えたこと言っているんだ!!
お前ら、近代史まで辿り着かないとか文句言ってやがるけど、受験を考えてるんだったらそんなもん自分でやれ!!
俺はお前らの受験のために授業してるんじゃねぇんだ!!」
と普段は温厚で話好きの先生が烈火の如く怒ったのです。
一同静まり返りました。
学校の先生は親ではない。
当時は「なんだ、このオッサンは、なんて無責任だ」と思いましたが、今思えば、なかなか正論だとも思いました。
高校は予備校ではないですし、まして先生は親ではありません。
それに、本来、学問は試験のためにやるものでもありません。
(もっとも高校レベルで「学問」と呼んではいけないのだと思いますが。)
やっぱり自学自習こそ勉強の基本であり、先生は「水先案内人」、という関係が理想なのだと思いました。
一方的に授業を受けるだけではなく、自分で勉強してわからなければ先生に聞く、それくらいやれば良かったのかも知れませんね。
(当時はありませんでしたが、今なら「スタサプ」という強い味方がある?)
もしかすると?
これは憶測ですが、当時はまだ「マルクス史観」に縛られていたと思います。
近現代史まで辿り着けない学校が多いのは、「近現代史はこうに教えなさい」とする文部省に対しての、教師陣のささやかな抵抗だったのかも知れない、なんて思ったり。