~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回、どうしても言いたいことは、「社会って教科、扱いが低くないですか?」という話です。

算数が重要なのはわかります。しかし、あまりにも算数に偏重しているのではと思うのです。一方、社会は「社会を良くするため」の学問で、1番重要そうなのになんか扱いが悪い気がしてならないのですよね・・・

「進学校で歴史選択する人なんていませんよ」

衝撃的でした。

都内有数の女子高から東大理Ⅲを経た女性研修医が、

「都市部の進学校で理系で歴史なんかとる人はいませんよ。大体、倫理政経を11月くらいから始めるのが王道なんですよ」

と言ったことです。

確かに彼女は正しい。そりゃ、受験だけを考えたら理系学生は日本史など避けた方が良いでしょうし、実際に彼女はそれで成功しております。

(東大などはセンターの配点が低いので、そもそもセンター試験は足きりにならない程度、という考え。)

しかし、同時に、いずれ日本を背負うかも知れない人たちがそれで良いのか?

という思いもあります。

「日本の歴史」も「世界の歴史」も「学ばない」、「知らない」という人たちが日本の代表として国際学会で活躍、とか、海外で勤務とか、

全然それでも良いのかも知れませんが、、、

やっぱり最低限の歴史は知っておいて欲しい・・・

と思うのは僕だけでしょうか・・・

日本史が敬遠されてしまっては日本史の目的を果たせていないような。やっぱり覚える量が多いのではないでしょうか・・・。若者の歴史離れを危惧する人はいますが、問題は若者ではなく、カリキュラムの方では?と思います。

教授層にも源頼朝を知って欲しい。

海外との関わりがなかったとしても、やはり上に立つ人には歴史についてある程度知っていた方が良いのかとも思います。

と申しますのは、良い大学を出て、良い論文を書いたら教授になれて、教授になれたら人望も得られて良い教室運営ができる、と本気で思っているような人がたまにいるのです。

(これは原始時代から人間の容積は変わっていないことの証明でもあるでしょうか。もっとも中途半端に小説などで歴史を知って、日によって信長的であったり、家康的であったりコロコロ代わるのが一番悪いかも知れませんが。)

そういう人こそ「数ある武家の棟梁候補の中からなぜ源頼朝が棟梁に選ばれたのか?」を知って欲しいのですよね・・・。

源頼朝は決して血筋が良かったから武士の棟梁になれたわけではなくて、武士の願いを叶えてくれそう(つまり本領安堵)だったから武士の棟梁になれた、と考えられています。

もし私が教授になるとすれば(この可能性は、0%ですが)、医局員の「願い」が何かを考え(単に赴任先云々の話ではなく、人生全体をみつめて)、じっくり話を聞いて、ひたすら歩み寄れるように努めると思います。

もっとも、教授にならないので、こんな心配することないのですが(笑)。

算数>>>社会?

さらに、歴史はおろか、「社会」そのものも配点が低すぎる、と思うのです。

驚いたことに、私立中高一貫教育の中学受験は、算・国・理の3教科でも受けられるのですね。

これが何を意味するのかと言いますと、「社会」を一切勉強しなくても、中学受験→中高一貫教育→私大という流れで医者になれてしまうわけです。

(つまりあなたの目の前の医者は「社会」を一度も受験したことがない可能性があります。その点、倫理政経を3ヶ月だけ勉強する東大生の方がまだマシ。)

いや、ちょっと待ってください。

たしかに、算数も大事かもしれませんが、

(中学受験問題を見てみますと、どの中学も算数のウェイトがかなり大きい。)

植木算が解けることと、環境汚染について考えることとどっちが大事なのでしょうか?

行列の計算ができることと、太平洋戦争の日本の敗因について考えることとどっちが大事なのでしょうか?

社会のような気がするのですがね・・・。

かといって、学生に罪はありません。

ただ、もし社会に目を向けることができるような人材を育てようと思ったら、社会の配点をもうちょっと上げた方が良いのではないか、と思いますし、これからはそういう人材が必要なのでは、と思います。

(といいつつも、私自身が算数のおかげで医学部に入れたタイプなので、もし算数のウェイトが下がったら医者になれていないと思うのですが・・・)