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☞【50過ぎても舞い上がるな?】『「論語」2000年の誤訳』(佐久協、2018年、ベスト新書)

こんにちは。

日本史とは少し離れますが、今回ご紹介しますのは「論語」。

四十而不惑」や「有朋自遠方来、不亦楽乎」の解釈が人によって異なるもので、

論語2000年の誤訳」(2018年)を手にしました。

「不惑」とは?

本書によりますと、

15歳頃に職業を決め、30歳頃に独り立ち。

40代に入ると仕事の手順で迷うことはなくなっていった」と「四十而不惑」を解釈をすると一番しっくりいくとのことです。

医者の世界でも実際、進学しようとするのが15歳くらい、25歳前後で医者になり、30歳過ぎくらいに専門医取得。

そして、40代くらいにもなると、みな自分の診療スタイルを確立している(それは新しいものには手を出さないという意味ではなく)ので、非常にしっくりいきます。

では、「五十而知天命」はどうでしょうか。

実のところ、50歳前後で政治家にスカウトされた孔子は「これこそが天命だ、周王朝のような徳治政治を行うぞ」と完全に「舞い上がって」しまったようです。

結果はご存知の通り、外交・内政とも無謀で失敗だらけ。

数々の挫折を経て、「60歳前後になって内心の声こそ天命であることに気づき、それからは内心の声に素直に耳を傾けてしたがえるようになった。」と至るわけですが、

40歳前後で仕事ができるようになったからといって、他の仕事でも成功するとは限らんぞ、という戒めのように僕は受け取りました。

孔子は完全無欠の人物ではなく、が挫折者でもあることを見落として「五十而知天命」を訳してしまうと、今の世の中だったら、政治家だらけになってしまうかも知れませんね。

では、

「朋、遠方より来たる有り、亦楽しからずや。」

はどう解釈すれば良いのでしょうか。

元・レスラーの前田日明氏は

「遠くから友達が来て嬉しい、みたいな単純なことを言っているのではなく、困難にぶち当たっても信念をもって続ければ、必ず同じ志を持つ朋が遠くからでも集まるから信念もってやれ

と解釈していましたが、

学友たちが遠くの地からやって来ているというのは何とも楽しいことなんだぞ

と比較的<普通>に解釈すべきようです。

孔子の弟子の中で特に優秀だった「四科十哲」10人のうち3人は非中国人ですし、他の門人たちも出身国が係争中なんてことがしばしばで多少の諍いもあったようですが、お互い広い心を持って接しよ、ということが言いたかったのでしょうか。

ただ、「創造作品はあらゆる解釈が可能」という筆者の意見を借りるならば、前田日明説の方が個人的には好きです。

あー、言っておきますけど、論語は「自己啓発本」ではないですからね。

忠君愛国とかいう話や、子供のしつけとかにももっていかないで下さいね。

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