こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表③:1855年~1857年」です。
日米和親条約に基づき、下田に領事館が置かれ、
初代領事としてタウンゼント・ハリスが着任しました。
ハリスは日本に通商開始を迫ります。
1855年(安政2年)
1 | 長崎伝習所設立 (勝海舟ら) 蛮書和解御用掛を独立させ洋学所を建てる (→地震で倒壊) |
10/2 | 安政江戸地震(※1) |
10/9 | 堀田正睦老中就任 ※阿部正弘退任。堀田は「蘭癖」とも言われ、開国派でした。 ※条約勅許を得られなかったことでマイナスイメージがありますが、佐倉藩主としては英邁でした。 |
12/23 | 日蘭和親条約 |
1856年(安政3年)
2/11 | 洋学所を蕃書調所(ばんしょしらべしょ)と改称 ※のちの東京大学。 |
2 | クリミア戦争終結 |
5 | アロー戦争(第2次アヘン戦争) |
7/21 | 初代駐日領事として、タウンゼント・ハリス着任(※2) ※通訳がヒュースケン。のちに暗殺事件に巻き込まれる。 ※病気を理由に看護師派遣を依頼したところ、愛妾として、お吉が向かったことで双方に誤解が生じた件が「唐人お吉」問題。 |
10 | アロー号事件 |
1857年(安政4年)
5/26 | 日米間で下田協約が結ばれる(※3) ※日米修好通商条約の前段階としての協約。領事裁判権など明文化。 ※小判流出のきっかけも9/9に結ばれたもの。 |
6/17 | 阿部正弘病死 |
10 | ハリスー堀田会談開始。通商条約締結を迫る。(※4) |
(※1)安政江戸地震
古来より「天変地異は為政者の行いが悪い」とする考えもあるため、
これのせいで江戸幕府が倒れたんじゃないか、という見方をする人もいるくらいです。
普段は鹿島神宮の要石で押さえつけられている鯰が暴れたためという俗信が流行りました。
下町では家屋の倒壊率40%以上の地域もあったそうです。
(※2)ハリス着任
イギリスはエリートが役職に就くことが多かったのですが、
アメリカはハリスのような貿易商を就けることもありました。
アジア情勢に詳しいハリスは、自らを売り込み、初代駐日領事となります。
って書くと善良な奴に見えるかも知れんが、
食わせもんなんだなっ。
(※3)下田協約
日米間で「下田協約」が結ばれました。
日米修好通商条約ほど有名ではありませんが、
その土台となる協約です。
この協約のせいで日本の金貨が大量に流出したため、
「幕府を倒したのは、ハリス」という意見もあります。
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(メキシコ銀④→日本銀⑫→日本金③→メキシコ銀⑫)
これによって、日本の金(小判)が大量に海外に流出した。
この仕組に気づいた日本人(水野忠徳)もいて猛反対していたんだけど、ハリスの策略で罷免されちゃうんだねー。
これによるとメキシコ銀1に対して日本銀3なんですね。
海外と日本では金銀交換比率が3倍違うので、
一生懸命みんな日本で金銀交換したのです。
(追)ハリスは悪人ではないっ!
一方、ハリスについてはこんな意見もあります。
彼(ハリス)もまた日本に保護貿易を勧め、「アヘンは禁止しろ」と忠告した。関税率を当時のアメリカよりも高い25%にしました。
「教科書に書けないグローバリストの現代史」(渡辺惣樹、茂木誠)p38
それに気づいたアメリカ学派(ハリスも含む)は保護主義を主張します。
それでハリスとパークスと仲が悪かったのです。
のち、パークスは1866年の改税約書で関税率を5%まで下げました。
(※4)ハリスー堀田会談
ハリスは、安政4年、江戸に入って将軍に謁見し、強い姿勢で通商条約の締結を求めた。ハリスとの交渉にあたった老中首座堀田正睦(1810~64)は勅許を得ることによって通商条約をめぐる国内の激しい意見対立をおさえようと上京し、アメリカをはじめとする列強と戦争になることを避けるため、条約を結ばざるを得ないと朝廷を説得した。
「詳説日本史研究」p320
朝廷は頑固でした。
「日本人は喜望峰以東で最も優れた民族」という言葉も遺している。