こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表④:1858年」です。
この年のトピックはなんといっても「日米修好通商条約」ですが、
同時に、「将軍継嗣問題」もピークを迎えておりました。
1858年(安政5年)
3/20 | 堀田正睦、参内するも孝明天皇の条約勅許を得ることができず ※孝明天皇も一度は認めようとしましたが、反対派の公卿(岩倉具視ら88人)に影響されて拒否することにしました。 |
4/23 | 井伊直弼、大老就任 ※この国難を収められるのは井伊直弼しかいないとのことで、老中よりも上の役職である、「大老」に就任。 |
6/19 | 大老井伊直弼、勅許を得ずに日米修好通商条約締結。(※1) ※井伊直弼は国学を学んでおり、基本的に尊王である。 ※アロー戦争の戦況を見たハリス(米)から「より厳しい条件でお客(英仏)が来ますよ」と脅されたことで条約締結に加速。 |
6/24 | 徳川斉昭、井伊を詰問。 ※勅許を得ずに条約を結んだことを咎める。 ※もっとも幕府の情報をせっせと朝廷に流していた斉昭の評価は割れる。 ※斉昭は影響力のある人物であったため、阿部正弘は「お伺いを立てる」形でうまく調整していたが、堀田正睦はそういうタイプではなかった。斉昭の「出貿易論」もうまく伝わらず、井伊直弼の時期には幕府と斉昭の関係は悪化していた。 |
7/5 | 井伊、斉昭たちを謹慎処分。 ※「不時登城」(ふじとじょう:予定日でもないのに江戸城に来たこと)が理由。 ※斉昭の他、息子の慶篤(水戸)、慶喜のほか、徳川慶勝(尾張)、松平春嶽(越前)らが処分。 |
7/6 | 13代将軍家定死没。(※2) 【徳川家定】 ※享年35歳。子がおらず将軍継嗣問題が起こり、家茂を推す南紀派と、慶喜を推す一橋派に分かれていたが、井伊直弼も家定も斉昭・慶喜を嫌っていたため次期将軍は家茂となった。 ※家定は「地震公方」とも呼ばれたが、「安政の大地震(1855年)」がなければ、名君であったとする意見もある。 ※この時期、コレラが米艦経由で伝染し、数十万人を失う。 |
7/10 | 日蘭修好通商条約 |
7/11 | 日露修好通商条約 |
7/18 | 日英修好通商条約 |
9/3 | 日仏修好通商条約 (これらを「安政の五カ国条約」と呼ぶ。) |
10/25 | 家茂、将軍宣下 |
(※1)日米修好通商条約締結
1858年、アロー戦争で清国がイギリス・フランスに敗北して天津条約を結んだことが伝えられると、ハリスはこれを利用してイギリス・フランスの脅威を説き、早く通商条約に調印するよう迫った。大老に就任した井伊直弼(1815-60)は、勅許を得られないまま、同年6月、日米修好通商条約に調印した。しかし、この調印は反対派から違勅調印であるとして、幕府への激しい非難と攻撃を生んだ。
「詳説日本史研究」p320-1
「こんなこと(勅許無しでの条約締結)したらあなたの命が危ない、もう1回考えを改め直した方が良いのでは…」と言う家来に対して、井伊直弼は、
と言ってのけたそうです。
なかなか確固たる信念をもっていた人ですね。
(結局、その後、いろいろあって暗殺されてしまうのですが。)
『日米修好通商条約』
14条からなります。
主な点は、
第3条 下田・箱館以外に次にいうところを開港するように。
神奈川 長崎 新潟 兵庫
第6条 日本人に対して犯罪を犯したアメリカ人はアメリカの領事裁判所で取り調べてアメリカの法律で処罰する。アメリカ人に対して犯罪を犯した日本人は日本の役人が取り調べた上で日本の法律で処罰する。(領事裁判権承認)
第8条 日本にいるアメリカ人が自らの宗教を信じ礼拝堂をその居留地に置くことは差し支えない。ならびにその建物を破壊して進行を妨げてはならない。
貿易章程
第7則 全ての日本の開港した港で陸揚げされる物品については左の関税目録にしたがってその地の税関に税を納めること。(関税自主権の欠如)
「超解!日本史史料問題」
新潟と神戸の実際の開港はまだ先の話です。
ちなみに神奈川港開港半年後に下田港が閉鎖されることも決めました。
『日米修好通商条約は不平等条約ではない?』
こちらの方のサイトが秀逸です。
かいつまんで言いますと、「関税自主権がない」、「領事裁判権をみとめる」という点で不平等条約と言われておりますが、
「関税は欧米各国の取引と同程度」(その後の「改税約書」が問題)、「外国人の居留範囲も限定的」であることから、
日本側も悪条件の中、ベストを尽くしたと言えるのではないでしょうか?
ということです。
実際に「詳説日本史研究」でも、
この条約は、戦争に敗北して清国がイギリスなどと結んだ条約に比べると、交渉によって結んだ条約だったのでアヘン輸入禁止を明文化するなど多少は日本にとって有利なものであったと考えられる。
p321
と書かれております。
その後、蘭、露、英、仏とも同様の条約を結びまして、これらは「安政の五カ国条約」と呼ばれます。
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