~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表⑤:1859年】『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂』 

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑤:1859年」です。

「戊午の密勅」事件と、「ロシア水兵殺害事件」の影響で、「安政の大獄」が拡大します。

1859年(安政6年)

5/26英駐日総領事オールコック着任

※元々は外科医。清における15年の活動を買われて任命される。
※高輪の東禅寺に居を構える。
※各地を旅行して、日本の美しさと農民たちの幸せそうな光景を見て、絶賛している。
6/2横浜、長崎、箱館開港(※1)
7/20東シベリア総督ムラヴィヨフ、来日。
7/27ロシア水兵殺害事件
8/27 斉昭、永蟄居。慶喜、隠居謹慎。水戸藩士ら刑死。(※2)

※1ヶ月前のロシア水兵殺害事件と前年に朝廷より受け取った戊午の密勅が伏線。

当時、ロシアはムラヴィヨフ提督のもと恫喝外交を行っていた。(樺太をよこせと言った?)その最中「ロシア水兵殺害事件」が起きた。犯人は水戸藩と推測された。ロシアの圧力もあり幕府は責任の所在として、戊午の密勅と合わせて水戸藩に処分を下した。
※ムラヴィヨフの影響もあり、1859年は内政外交とも危険な年であった。

※水戸藩士・安島帯刀(家老)、鵜飼吉左衛門、幸吉親子(手紙のやりとりに関与)らが刑死。

→【「勝海舟と幕末外交」に詳しい】
10/7橋本左内刑死
10/27吉田松陰刑死(※3)

(※1)横浜、長崎、箱館で貿易開始

貿易は、横浜、長崎、箱館の3港で始まった。輸出入品の取引は、居留地において外国商人と日本人の売込商や引取商との間で銀貨を用いて行われた

「詳説日本史研究」p321
条約締結時は神奈川港が選ばれていましたけど、交通量が多く、日本人とのトラブルを避ける狙いで人の少ない横浜港に変えられました。

当時の横浜は現在では想像もつかないほど田舎だったと思います。

半年後に、貿易には不向きであった下田港は閉鎖されました。

やがて生産地と開港場を直接結ぶ在郷商人が出現したせいで、幕府は貿易統制を図ろうと五品江戸廻送令を出した、ってわけですね。
 

取引はほとんどが「横浜」

メインの相手国は「イギリス」

主な輸出品は「生糸」

って覚えておきましょう。

(※2)安政の大獄

「安政の大獄」で吉田松陰をイメージされる方も多いかも知れませんが、

メインは「水戸藩」です。

徳川斉昭、徳川慶喜親子らが謹慎処分を受けたことも「安政の大獄」の一部です。

前年、朝廷は「戊午の密勅」と呼ばれる激励文を水戸藩に渡しました。

かいつまんで言いますと、

幕府のやっていることは気に入らないから、代わりに外国人追い払って。

というものです。

これは、朝廷から大政を預かる形式を採っている幕府としましては看過できないことです。

さらに前月、来日していた「ロシア水兵殺害事件」がおきました。

犯人は誰かはわからなかったものの、

水戸藩士に違いない

と囁かれておりました。

ロシアからの圧力もあり、幕府は水戸藩を処分しました。

さらに、政権転覆を図る人々(一橋派ら)も処分の対象にします。

井伊直弼はやりすぎじゃろう。

橋本左内(越前藩士)どのなんかが、新政府にいて欲しい人材だった。

「水戸学」の発祥でもある水戸藩は維新の火付け役になったものの、あまりにも多くの血を流したために新政府ができた頃には人材難に陥って、すっかり中心から外れてしまっておりました。

(※3)吉田松陰、死す

吉田松陰(「銀魂」では吉田松陽)は、

銀魂」での処刑シーンと同じく、やや不可解な死に方をしております。

黒船に乗り込んでアメリカに行こうとしたこととかはさておいて、

幕府の取り調べを受けた際に、

進んで老中間部詮勝暗殺計画を話し、自分は処罰が妥当と訴えた

と言うんですよね。

現代の感覚からしてもちょっと「ヤバめ」の人というイメージですが、

このあたり、銀魂では実に見事な伏線回収しているんですよねー。

くだらないシーンも多いのですが、あそこまで昇華したのは作者を褒めるべき、でしょうか。

ただ、松陰先生も、言っていることは素晴らしく、

辞世の句である

『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂』

は心に残る句でありますね。

先生は何を考えていらしたんだろうか・・・
実は私享年29なんですよね。

若気の至り?

ちょっとカッコつけすぎた?

 
なんかよくわからんヤツだ。死刑!
 

松陰は、明治維新に入って英雄視されます。

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感想(4件)
マンガ。
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