こんにちは。
今回ご紹介しますのは「1920年代の日米関係」についてです。
一言で申しますと、「1920年代の日米関係は良好」でした。
戦前のアメリカを「日本にとって全て悪」とみなす考えも根強くあるようですが、日米は「太平洋の覇権」をめぐってずっと争っていたわけではございません。
「アメリカ」と一括りにしないで、「親日派」なのか「反日派」なのか読み解く必要があると思います。
「もう一つ上の日本史」を参考にさせて頂きました。
1920年代、共和党政権と日本との関係はむしろ良好(p175)
1920年代前後のアメリカ大統領
大統領 | 政党 | 期間 | |
---|---|---|---|
第28代 | ウィルソン | 民主党 | 1913.3.4-1921.3.4 |
第29代 | ハーディング | 共和党 | 1921.3.4-1923.8.2 |
第30代 | クーリッジ | 共和党 | 1923.8.2-1929.3.4 |
第31代 | フーヴァー | 共和党 | 1929.3.4-1933.3.4 |
第32代 | F.ルーズベルト | 民主党 | 1933.3.4-1945.4.12 |
では、それぞれ見て行きましょう。
ハーディング時代(1921~1923)
★ワシントン会議(1921-1922)【コチラも】
★在職中に死亡
「ワシントン会議でハーディングが日英同盟を解消させた」みたいな言われ方をすることが多いのですが(私もそう思っておりました)、
その前に「日英同盟は既に解消に向かっていた」というのが正しいようです。
本来ならアメリカは国際連盟に入っているはずでしたが、上院で否決されたために入れず。
その代わりに、「きめごと」をしたのが、この場、と考えるとわかりやすいかと思います。
クーリッジ時代(1923-1929)
★アメリカの繁栄を築く
★「排日移民法」(1924)には反対していた(ただ、議会は野党優勢)
フーヴァー時代(1929-1933)
★世界恐慌(1929)に直面
★再選に失敗してからも精力的に活動。日本の地位復活を支え、対日政策にも影響を及ぼす。【コチラも】
経済の専門家である私でも世界恐慌は悪夢のようでした。議会は私の反対を押し切って欧州を切り離しました。あれは良くなかったと思います。
さらに!
フランクリン・ルーズヴェルトみたいな「狂気の男」が大統領になったおかげで、あんな戦争になったと思います!
経済関係も良好
ワシントン会議以後、ほぼ1920年代を通じて、日本政府は国際協調、とくにアメリカとの協調関係の確保に努力し、貿易の振興など経済外交を重んじた。
詳説日本史研究p427
当時、アメリカは日本にとって最大の貿易相手国であり、1920年代半ばころで、日本の総輸出額の約40%がアメリカ向けの、また総輸入額の30%近くがアメリカからの貿易品であった。
したがって日本にとって、とりわけアメリカとの友好関係の維持は、最も重要視された。
1924年、加藤高明内閣成立後まもなく、アメリカにおいて新移民法が実施され、日本人移民がアメリカに入国することが事実上できなくなるなど、相互に国民感情を悪化させる事件がおこったが、外交レベルにおける日米両国の協調関係は維持された。
【まとめ】
共和党政権だった1920年代の日米関係は良好。
経済的にも強い結びつきをもっていた。
1924年の「排日移民法」は日本だけが対象ではなく、むしろ日本は最大限配慮された。