こんにちは。
本日、ご紹介するのは「五一五事件」です。
五一五事件概略
日本と言う国の中に、「日本」と「陸軍」という2つの国があったと考えるとわかりやすいでしょうか。
満州在住の陸軍、つまり「関東軍」が起こした「満州事変」に際して国内の日本政府は「不拡大」方針を唱えます。
ところがさらに関東軍の進撃は進み、ついには「満州国」が建国されます。
当時の国民は慢性的な貧困に喘いでおりまして、政府に不満を持つ一方、満州に希望を持っていました。
しかし、国際問題上、政府は公式にはその存在を認めません。
さらには前首相の際に行なわれた「ロンドン軍縮会議」で縮小宣告を受けた軍人たちも政権に不満を持っていました。
このようなことを背景に、「現役首相暗殺」という事件が生じます。
殺されたのは「犬養毅」首相でした。
(注:「板垣退助」と混同している人もいるようですが、「い」しか合っていません。また、5月15日に行なわれたので五一五事件です。)
政治に不満を持った青年将校により犬養首相が射殺された。
(満州国正式承認見送りや、ロンドン海軍軍縮条約など)
青年将校たちは軍に近い人間が首相となることを望んでいた。
海軍穏健派の斎藤実が首相に任命され、二大政党制による「憲政の常道」(問題があればもう一方にスイッチ)が途絶えた。
※「憲政の常道」が途絶えた直接の原因は五一五事件にあるが、それ以前に政党の腐敗、足の引っ張り合いも問題であった。
暗殺事件は五一五事件だけではありません。
この時期、暗殺事件は五一五事件だけではありませんでした。
この中にはあんさつ事件ではない、単なる「クーデター未遂事件」もありますが、年代順に並べられるでしょうか?
【問題】次のできごとを順番に並べよ。
①二二六事件 ②三月事件 ③五一五事件 ④十月事件
ちなみに、三月事件と十月事件はクーデター未遂事件で、三月事件で担がれたのが宇垣一成、十月事件で担がれたのが荒木貞夫です。
三月事件
【年月日】・・・1931年3月20日予定(未遂)
【当時の内閣】・・・浜口雄幸。
★金解禁、ロンドン海軍軍縮条約締結断行で敵も多かった。
★前年11月に銃撃を受けて病身であった。
【目標】
宇垣一成を首班とする軍事政権樹立
【主な関係者】
橋本欣五郎(陸軍)・・・中堅将校を集めて「桜会」を組織。
大川周明(思想家)・・・民間右翼。軍部と結んで国家改造を目指す。
宇垣一成(陸軍大臣)・・・首謀者たちに担がれる。しかし、クーデターせずとも首相になる可能性もあったことから本人が計画から降りた。
小磯国昭(陸軍)・・・陸軍省軍務局長。事件の首謀者の1人。
徳川義親(尾張徳川家)・・・貴族院議員。資金を提供していた。
【事件の概要】
既成政党の支配に反発する諸勢力(無産政党も合流予定であった)が民衆を煽動して騒擾を起こし、出動させた軍隊がそのまま実権を掌握し、宇垣一成政権を樹立するという計画。
騒擾を起こすだけの動員力がなかったこと、計画が漏洩したこと、陸軍内部からの反対(永田鉄山ら)、宇垣本人が計画中止を命令したことで、計画は未遂に終わる。
関係者の処分はなく、国民が知るのは戦後である。
【事件後のできごと】
4月…浜口首相辞任、第2次若槻内閣誕生
9月…柳条湖事件
資源は欧米から得るという点で一夕会の連中より現実的だろ?
大正時代の軍縮のことをとやかく言われるけど、軍縮して予算が余ればそれをより効率的に運用できるではないか。
つづいて、『十月事件』。この時、担がれたのが荒木貞夫。
十月事件
【年月日】・・・1931年10月24日予定(未遂)
【当時の内閣】・・・若槻禮次郎内閣
★柳条湖事件以後の軍事行動(満州事変)不拡大を唱え、陸軍の反発を生んでいた。
【目標】
荒木貞夫を首班とする軍事政権樹立
【主な関係者】
橋本欣五郎(陸軍)・・・桜会。関東軍による満州事変に呼応して国内でもクーデターを行なおうと計画。
大川周明(思想家)・・・三月事件に引き続き橋本欣五郎に同調。
西田税(元陸軍)・・・病気で予備役編入後、民間右翼として活動。しかし方向性の違いから桜会メンバーと対立していく。
荒木貞夫(陸軍)・・・事件当時は教育総監部本部長。若手から慕われて担がれる。
【事件の概要】
国家改造を企む桜会の面々、大川周明らは首相らを殺害して荒木貞夫政権を樹立するというクーデターを画策。
しかし、酒席で計画を大言壮語するなど杜撰さを露呈し、憲兵隊により捕獲される。
【事件後のできごと】
12月・・・第2次若槻内閣退陣、犬養内閣へ。荒木貞夫が陸相就任。
1932年2月~3月・・・血盟団事件
1932年3月・・・満州国建国
1932年5月・・・五一五事件
民間右翼は軍部と手を組まずに単独で暗殺事件を行ないました。(血盟団事件)
日本は軍部が台頭していると。
五一五事件
【年月日】・・・1932年5月15日
【当時の内閣】・・・犬養毅内閣
★10月事件(1931.10)以後、民間右翼と青年将校は決裂。民間右翼も西田税と大川周明、あるいは井上日召(血盟団)は袂を分かつ。血盟団は暗殺組織となり、海軍青年士官は再び荒木貞夫に期待。
★関東軍の力によって満州国が建国される(1932.3.1)が、犬養毅は正式承認を見送っていた。
【目標】
荒木貞夫を首班とする軍事政権樹立
【主な関係者】
犬養毅(首相)・・・若槻禮次郎総辞職後に首相に。政友会においては外様であったが、護憲運動を経て人気が高かった。
海軍青年士官・・・井上日召と親しい藤井斉が中心的存在であったが、第1次上海事変で藤井が戦死した。二二六事件を起こしたのは残ったメンバーらである。
橘孝三郎(愛郷塾)・・・実行部隊として協力。農民決死隊が変電所を襲って首都を停電にする予定だったが、知識不足で実現できず。
【事件の概要】
海軍青年士官たちのグループは、首相官邸、日銀、内大臣邸、政友会本部、警視庁を襲う計画であった。
変電所も襲って首都を停電に陥れ、戒厳令を敷いて荒木貞夫を首相とする軍部政権をつくるはずだった。
しかし、結果として犬養首相が殺害された以外は大きな混乱が起きなかった。
(ただ、十月事件で袂を分かった西田税は襲撃されて瀕死)
【事件後のできごと】
5月・・・慣例に従えば、同じ政友会の後継総裁である鈴木喜三郎が就任すると思われたが、陸軍の反対が強固であると認識した元老西園寺公望は海軍穏健派である斎藤実を指名。これにて「憲政の常道」(政党による政治※)は終焉。
9月…日満議定書
※選挙で最多得票を得た党から総理大臣が選ばれる。しかし、問題が生じた場合は野党第一党から総理大臣が選ばれる。
ただ、正式に認可してしまうと国際社会浮いてしまうではないですか。
かくの如き挙措に出でた心情について考えてみれば涙なきを得ない。
私たちが捨て石となります!!
これは愛郷塾の農民決死隊の影響が大きいのではないでしょうかね。
というわけで、
順番は、②三月事件→④十月事件→③五一五事件→①二二六事件
です。